
詩人 フリオ・フロレス博物館
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朝出かける準備をしていると、お手伝いさんがリビングで紙を見ながらなんだかおぼつかない表情をしている。一昨日から食べ物が喉を通らず体調が悪いと言っていたので、そのせいかと思ったが違うようだった。
『昨日行った病院から高額な請求が来たの。保険にも入らせてもらってないし、私これどうやって払ったらいいの・・・』
彼女は話をしている間に辛くなったのか、泣き出してしまった。彼女は私が今まで滞在した家のお手伝いさんの中でも明るくよく話し、本当に気が利く。
『私は学校の教育を受けてないの。娘には私のような人生を歩んで欲しくないから、毎月働いた給料を学費に全部使っていて、何も残らないのよ』
しばらく抱きしめてあげると彼女は落ち着いた。
そうこうしているうちに、アントニオさんとジュディーさん、彼女の妹が迎えに来た。今日はバランキジャの郊外、ウシアクリへ行く。滞在している家のヘススさんのお母さんも同行してくれた。
ウシアクリはバランキジャで初めて日本人が移住した場所であり、最初にたどり着いた水野小次郎が探し求めた、病に効く聖水が湧き出ていた場所である。
町から離れると、見慣れた田舎の風景へと変わっていく。バイクタクシーが行き交い、人々はお店の前で椅子を並べてビールを飲んでいる。いくつかの村を抜けると、草原地帯が広がった。秋を思わせるような茶色の草木が太陽に照らされて金色に光っている。
バランキジャから約1時間半でウシアクリに到着した。車を降りると暑さで体がもやっとし、音の聞こえない空間に包まれた。自分の歩いている音がよく聞こえるほど静かである。
到着した広場の前には外交官で詩人だったJulio Florez(フリオ・フロレス)が住んでいたという博物館がある。1人でチケット売り場とガイドを務めるカルロスさんが館内を案内してくれた。
中はとてもシンプルで、彼が使っていたベッドや本棚、家族の写真、一番奥の部屋には彼のお墓があった。愛用していたと思われる蓄音機にはベートーベンのロンディーノのレコードが置いてあった。
“死”をテーマに詩を書き続けた彼は、66歳の誕生日を迎える前に小さな子供達を残してこの世を去った。
聖水(Agua de la Medicina)が出ていた場所
昼食を近くの屋外レストランで食べ、アントニオさんの親戚の家を訪ね、バランキジャへ戻った。そしてキューバでもらったプチミッションを行った。
キューバで出会った日系人の荒川定美さんから移民についての話を聞いている時、4人姉妹の写真を見せてもらった。
『次女のキヨミが育てたヒラルドは今バランキジャに住んでるわ』
『もし会えたら彼にこの写真を渡してきます』
アントニオさんに相談すると、ヒラルドさんはすぐに見つかり、日本コロンビア友好協会の事務所で会うことになった。
ヒラルドさんの顔つきは日本人だが話をしだすと、キューバ人独特の話方に私の脳裏にキューバの景色と家族の顔が蘇った。
『実は渡したいものがあって』
写真を見せるとまさかといった顔で、遠くを見つめながら昔の話を始めた。『僕にはお母さんがいたんだけど、僕が5才の時家族の事情で育てられなくなり、変わりに定美の妹のキヨミに育ててもらったんだ。キヨミは2年前に日本で亡くなってしまったんだけどね』
11年前にキューバからコロンビアへ移住したヒラルドさんは、健康食品関係の会社で働いている。嬉しかったのか、家族との思い出の話をたくさんしてくれた。
『わざわざありがとう。この写真はとっても大切だよ』
日本からのように距離のあるミッションではないが、キューバという特殊な国からもらったミッションは、ある種感動的なものだった。
夕方は明日のカーニバルで着る衣装を選びに貸衣装屋を訪ねた。
町はカーニバル一色。デパートも通りでもそこら中で人がリズムに体を委ねている。
家へ帰ると扉を開けてくれたお手伝いさんが、少し食べれたわと嬉しそうに言った。
今日はもしかしたら彼女のことをぞっと考えていた1日だったかもしれない。
ERIKO