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インターネットはもちろん、コーリングカードも使用できなった。スーパーという場所もなく、何か欲しいものがある時には人からの情報をもとに、路店を探したり個人で売っている人を捜さなければならない。クレジットカードに関しては一度も使用できる店には出会わなかった。
キューバ人の生活は、観光バスに乗って少し町を歩いただけでは分かるものではない。私が滞在させてもらったハビエルさんの家はごく庶民的なアパート群の中の一つだった。キューバ人でさえ驚くほど外国人とは縁のないローカルな土地である。当初はただ人が住んでいるアパートと思っていたが、その一つ一つは教会であったり、病院であったり、魚屋であったりした。そして毎日家にはたくさんの人が訪れ、たわいもない会話をしたり、音楽を聞いたり、相談にのったり、時に喧嘩もする。私が出会った人達はみんな生きることに一生懸命な人達ばかりだった。
お母さんのテレシータさんは生活について何でも話してくれた。デニルソンの学校で使うノートがないのに買ってあげられないことや、ブライアンは将来コンピューター関係の仕事に就きたいのに、インターネットが使えない国に住んでいること。
『私の妹と従兄弟はアメリカへ移住したの。親戚がどんどん遠くっていく。それでも私はキューバが好きだし、一度も海外へ出たいと思ったことはないわ。でも子供の将来を考えると外に出してあげたいの』
キューバ人の若い人と話をすると、その多くはどうやって国を出るかを考えている。キューバ人としての国籍を失わずに海外で働きたいのだ。
しかしこの国が一見窮屈そうに見えたとしても、ここにはお腹を空かせてゴミをあさるような人はいない。みんなご飯が食べられる。お金がなければ治療を中断してしまうような医療システムもない。みんな無料でどんな病気の手当もしてもらえる。
それぞれの国にはそれぞれのスタイルがあり、それぞれの人にはそれぞれの生き方がある。少なくとも私が出会ったキューバの人達はエネルギッシュで精一杯で心底優しく魅力的だった。
ハビエルさんの家に着いた初日にこんなことがあった。私が食事代などとして、ハビエルさんに10クック(約900円)渡した。すると彼はこう言った。
『僕たちにとって一番大切なのは、エリコに居心地よくいてもらうことで、そうでなければ僕たちはいくらお金を損するより辛い。もしエリコが我々に何かお返ししたいのであれば、別の形でして欲しい。僕たちはいくら働いてももらえる金額は決まっていて、それでは生活は賄いきれないけれども、このエリコからもらう10クックはあまり価値がない』
私は安易だったと反省した。助けたつもりで渡したのだが、かえって彼らとの関係をお金でお世話になるという形に勝手に決めてしまったのである。お金にも人それぞれ価値が違うということを教えられた。人の絆や結びつきはお金以上の価値を与えなければ強まることはない。
物や情報が少ない世界では人間同士がイキイキと交差し合う。
『Hola! Como anda?』(オラ!調子はどうなの?)
キューバの太陽を浴びて海風に吹かれながら、アパートから顔で出して声を掛け合う人達の姿は、明るくてどこか哀愁ただよう私の忘れがたいキューバの風景である。
ERIKO