1/18
週末はツアーで地方へ旅行に出かけることにした。場所は昔のキューバがそのままの残っていると言われているトリニダードとシエンフエゴス、サンティ・スピリトゥ、サンタ・クララの4都市。ホテルで取り扱っていたCubanacanという会社のツアーを選んだ。
家族に旅行に行ってくると話さなければならない。変に気を使わなくてもいいはずなのに、話を切り出すのに少々躊躇してしまう。
『週末にトリニダードに行ってきます』とさらっと言った。
すると息子のデニルソンが『旅行するのって、いくらかかるの?』と聞いてきた。『165クックだよ』と答えると、息を呑んで口を押さえた。
『デニルソン、外国人は私たちの国を知ることができるのよ。でも私達キューバ人は多分一生知ることはできないの』
お母さんのテレシータさんはフリフォール(黒豆)と白ご飯を混ぜながら下を向いたまま言った。
彼らがどんなに一生懸命働いたとしても、自分の国さえ旅行するには届かない。ここ数日、トイレの紙がなくなってその変わりに綿が置いてある。私も彼らの生活を理解しているので何も言わないし特に不便すぎることもない。
デニルソンに食事が終わった後、
『もし旅行に行けるとしたらどこに行ってみたい?』と聞くと、一言『キューバ』と答えた。
7時半の待ち合わせだったバスは1時間遅れて到着した。30人乗りの大型バスには約20人のツアー客が乗っている。
その大半はカナダ人で他はロシア、イタリア、メキシコからの観光客だ。
アバナの町を離れると、建物がなくなり広大な畑地帯に牛や馬が放牧され、小さな家々がポツンと見える。眺めているだけで時間の流れがゆったりしていると感じるほど長閑である。その景色は私が初めてキューバの地を飛行機の上から見た時のことを思い出させた。
バスはひたすら農道沿いを走り、Matanzas(マタンサス)という町へ入った。マタンサスはスペイン語で殺害という意味で、昔ここに住んでいた多くの先住民が殺されたことからその名が付いている。
オレンジの産地として有名で、様々な種類の植物が見られる。
1936年までキューバの国樹でアフロアフリカ文化では魔除けとして使われているヤグルマや、電気を発するセイバの木などが見られ、エコツアーも楽しめる場所である。
ガイドの話が終わるとウトウトしてしまい、目が覚めるとシエンフエゴスの町に到着した。Jose Martin(ホセマルティン)広場を散策し、ヨットが停泊する海辺のレストランで昼食を取った。
私達が止まる場所は、当たり前だが観光客用に設備が整っている。私の知っている人懐っこくて楽しいキューバ人の姿はあまり見かけない。みんなどこかよそ行きの顔付きをしている。
今晩宿泊するトリニダードへ向かう。ズボンの裾をめくり上げて田植えをする人々の風景から、山の景観へと変わる。山の周辺には丘が連なっている。海ばかり見ていたからだろう、このような景色をどれだけ恋しく思ったか。
バスを降りると道は石畳でゴツゴツしている。不揃いな石の上を松葉杖で歩くのは至難の技である。幸い私のグループは高齢者が多く、のんびりペースのため遅れないようにと焦ることもない。
トリニダードはDiego de Velazques(ディエゴ・デ・ベラスケス)によって見つけられた町。海賊の襲撃を何度も受けており、実際に彼らが宿泊していた場所なども残っている。サトウキビを始めとする作物と奴隷売買の中心地として栄え、19世紀中旬の奴隷廃止とともに衰退したが、現在もその立派な街並がそのまま残っており、世界遺産に登録されている。
町をゆっくり散歩し、遠くで夕日が沈み始める頃ホテルへ向かった。
“コスタスル”という名前のホテルは、一昔前の雰囲気のするホステルのような作りで、フロントに犬やネコがそこら中に歩き回っている。
私の部屋はベッドが2つあったが、1つはなぜかアリがたくさん這っていたので必然的にもう一つのベッドで寝ることになった。
夜はプールサイドでダンスのショーが行われた。メキシコ人の大学生のアレンと遅くまで旅の話やキューバでの生活について話をして、日付が変わった頃就寝した。
ERIKO