飛行機から見たキューバの地


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 久しぶりに乗ったプロペラ式でない飛行機は何とも言えない安心感があった。経由地のパナマまで約2時間、乗り換えをしてお昼の1時頃キューバの首都アバナに離陸した。
上空から見下ろすキューバは、エメラルドグリーンの海に囲まれ、赤土と緑の畑が広がり遠くの方にビル群が見えた。

 キューバは社会主義国であり、これまで旅して国とはまるで勝手が違う。何年が前までは、友人や知人の家に滞在することは禁止されていた。入国審査もキューバで何をするのか根掘り葉掘り聞かれた。

 ここで使われるお金は2種類。キューバペソと
CUC(クック)と呼ばれる通貨である。クックは主に観光客用で、1CUC=US$1の価値がある。それに比べてペソはUS$1=25ペソである。
空港からは国営のタクシーに乗車しなければならない。料金はどこへ行っても
US35ドルに統一されている。会社は何社かあったかもしれないが、車椅子でそのまま連れて行かれたのでよく分からない。
『帰りは
Privado(プライベート)のタクシーに乗りなよ、ビックリするくらい値段が安いから』
運転手は家に着くまでキューバの法律やシステムについて色々と説明してくれた。

 滞在先はアバナから東に
9km離れたAlamar(アラマル)という町にある。
家は集合住宅アパート群の1つだった。キューバは家庭にインターネットを繋げることが禁止されているので、今日まで家の人と連絡を取ったことがない。どんな人の家に滞在するのか全く分からない。いつも連絡は紹介してくれたウルグアイに住むキューバの知人オルガさんを通して行っていた。少々心配していたものの、どこかで大丈夫な気もしていた。
到着すると、気の強そうな女性がアパートの
2階から顔を出し、『あんた誰?』と不思議そうな顔で言った。周りはキューバ人しかいなく、観光客や外国人なんて1人も見当らないローカルな場所である。
『あの、オルガさんの友達のエリコです』
『あー、あんたがそう?』

テレシータさんは口にくわえたタバコを手に持ち替えて挨拶のキスを交わす。

『オルガさんから連絡きてましたか?』
『いや、何も』『家に滞在しても大丈夫でしょうか?』
『もちろん、12月から待ってたよ』




              同じアパートの住人

どうやら事故で予定が変更になったことをオルガさんが彼女に伝えていなかったそうだ。家は5階建ての集合アパートの2階にある。
荷物を置いてリビングでテレシータさんと話をしていると、開けっ放しの玄関からひっきりなしに人が出入りする。
『みんなこの辺りに住んでいる人だから』
そう言って、到着して
30分も経たないうちに10人以上のアパートの住人を紹介された。その中にはコーヒーを振る舞ってくれる人もいた。

 4時過ぎに学校から息子のデニルソン
10才とブライアン14才が帰ってきた。午後も学校の授業がある国を私はラテンアメリカで初めて知った。
旦那さんのハビエルさんは私の到着が嬉しかったのか、仕事中に何度も電話をくれて、『何か食べたいものは?体調はどうだ?居心地は良いか?家族のように接してくれ』などと気遣ってくれた。
帰宅すると得意の料理を作ってくれた。メニューはフリフォール(豆の煮込み)と、ユカ(イモ)、伊勢エビとトマトソースの炒め物など、どれもこれもレストランで出してもおかしくない美味しさだった。




          カイシモンの葉を巻くハビエルさん


 家族で夕食を食べている間も来客は絶えない。ついには下の階の住人へ電話までかかってくる。
最近飛行機に乗る機会が急に増えたからか、私の足は10日以上異常なほど腫れ上がり、いっこうに引く気配がない。
それを見たハビエルさんは『薬を取ってくる』と言って、2時間後に
Caisimon(カイシモン)と呼ばれる緑の大きな葉っぱを袋に大量に摘んできた。
『これで腫れはひくよ』と言って足に葉っぱを巻いた。薬を飲んでも、温めても、何をしても引かなかった腫れが引くとは思えなかったが、5分経つと既に足が温まり始めた。

 新しい家族と出会い、これまでと違う習慣に胸をときめかせながら、キューバでの滞在が始まる。



ERIKO