
私の部屋から見えるバナナの木
11/24
家の中にいても相変わらず1日は刻々と過ぎて行く。
私が寝泊まりをさせてもらっている部屋には網戸付きの窓が2つ付いていて、バナナの木の葉が上下にユサユサと揺れているのが見える。
窓はいつも開けっ放し。
『雨が入って来るから、荷物は窓の近くに置かないほうがいいよ』
初日に白江夫婦から言われた通り、開け閉めが大変な重たい窓は閉めない。スコールが降ると、容赦なく雨が入ってくる。毎朝風が体に触り目が覚める。まるで外で寝ているような開放的な感覚。
くねくねした山道を北へ走ること1時間半、Gouyaveという町に到着した。
車を降りると、ソカの音楽に合わせて地元の人達が楽しそうにステップを踏んでいる。
Gouyaveとはフランス語でグアバのことだが、この場所はフランスに制御されるまで、Charlotte Townと呼ばれていたそうで、のちにフランス人たちによって、グアバの木がたくさんなるこの地域にフランス語の名前が付けられたのだそうだ。
どうしてフィッシュ・フライデーが金曜に行われるのか、はっきりしたことは分からないが、カトリック信者が多い国なので、イエスが十字架にかけられた金曜日の夜から日曜日かけて肉をさけ、魚を食べるという伝統的な習慣が関係しているような気がする。
ちなみに、ヘブライ語の魚という意味の"דג"(ダーク)は、同時に数字の“7”という価値を持ち、週の7日目に当たる曜日は安息日となっているのも偶然ではなさそうである。
狭い路地裏に屋台が連なり、フィッシュナゲット、ロブスター、白身魚の素揚げなどが売られている。
賑やかな通りで松葉杖をついている人なんて他にどこにもいない。
店を通る度に、『どしたの?大丈夫?』と、みんなが気遣ってくれる。
笑顔で話しかけてくれる彼らは地元の人達だろうか?毎週ここへ来るのだろうか?
ベンチに座って行き交う人達の様子を眺めていると、なんだか自分がこの場の中に入りきらず客観的な立場にいるような気分になる。
こうやってあらゆる"場所"と名のつく所で、様々な“もの”や“こと”が交差し時にぶつかり合いながら、人は出会いや別れを繰り返し、人生という自分の道を歩いていくのだろう。
かつて飛行機や移動手段がなかった時代、私がまだ生まれていなかった頃にもこの地はあり続けていただろう。
そしてここにも人々の生活の営みがある。ひっそりと行われるローカルなフィッシュ・フライデーはそんなことを思わせてくれた。
ERIKO