
お世話になったお家のサヨさん
旅が始まって初めてもっと長くいたいと思った国、ベネズエラ。首都カラカスを拠点に約2週間滞在した。入国するまではどんな国であるのか想像がつかなかったが、到着してすぐにベネズエラの魅力に惹かれた。
国内の小さな町や村を訪れ、この国の先住民族の種類の多さに驚いた。1498年、コロンブスが現在のパリア島に到着した時には、150種族の先住民が住んでいたと言われている。
水上生活をするマラカイボ族という先住民族を見た彼らは、“ベネチアを思い起こすようだ“と言い、この国を小さなベネチアという意味の“ベネズエラ”と名付けた。
先住民族の分布の様子を聞く限り、この国のどこを渡り歩いても、先住民族というキーワードから離れることはできなだろう。
『白人のベネズエラ人が、ロライマやカナイマなど国内の場所を訪れるようになったのは、ほんの20年前のことで、先住民族への差別が激しかった一昔は、彼らの住むエリアに足を踏み入れるなんてもってのほかと思われていたんだ。でも近年、多くの外国人がベネズエラを旅し、その情報をベネズエラ人が得ることで、少しずつミッキーマウスやマイアミから、ベネズエラ国内に目を向ける人達も増えてきている。昔は学校教育などでも、ベネズエラの自然や土地の魅力については習わなかった』
ロライマ山を旅した時、ツアー会社のビクトルさんや、彼の友達が話をしてくれた。確かに、ベネズエラ人でロライマやギアナ高地を旅したという人は圧倒的に少ない。
しかし、最近は先住民族の人達の文化の素晴らしさや、外国語を取得して観光業を成功させる彼らに、尊敬の目が向けられ始めているのだそうだ。
南米の南部を旅したが、同じ南米でもベネズエラに入ったとたん、雰囲気がガラリと変わる。南米の人たちは働き者が多いイメージが強かったが、この国の人達は、国自体が豊かなせいもあるのか、非常にマイペースでのんびりしている。
やりたければやる、やりたくなければやらない、どちらを取ってもどうにかなる、と言ったような気楽さと余裕がある。
ベネズエラは中南米でもトップクラスの高所得水準で、多くの貧困層を抱えながらも、富を築いた人達の生活は非常に豊かである。
物価も他の南米の国と比べるとびっくりするほど高い。空港利用税の料金の高さは世界一で、私のトリニダード・トバゴ行きのチケットよりも高い。
到着して早々、レストランでほとんどのお客さんがウイスキーを飲んでいたのを見た衝撃は今でも忘れられない。また、ガソリンがハイオク満タンで入れても、50ボリ(500円弱)しかかからないのは、さすがの石油大国ならではである。
2週間お世話になったサヨさんの家。
バリバリのキャリアウーマンで、いつもテキパキしている彼女は、小さなことを大切にする素敵な女性だった。
早足で歩く彼女の後を、小走りで追いかけながらも、道に植物や花が咲いていると、立ち止まって『素敵ね~』と語りかける心を持っている。
ある晩、夕食を終えて話をしていると、サヨさんが突然立ち上がり、『やっぱり咲いてるわ!』とベランダの柵に体をのめり出した。
見ると、ベランダから飛び出すようにして伸びた茎の先に、真っ白な月下美人が甘い香りを出して咲いていた。いつか見たいと思っていた花が見られて、私も嬉しかった。
月下美人は葉っぱから花が開く不思議な花で、1回限り夜の数時間だけしか咲かない。普段真面目な顔をしているサヨさんは、笑顔になると優しさに溢れた表情になる。あまり感情的な言葉は口にしないが、人の気持ちを受け入れる深い人であることは、彼女がするさりげない仕草からいつでも見てとれた。
息子のユキさんも、仕事と平行して、ベネズエラの食べ物を試させてくれたり、生活で必要なことの世話を焼いてくれた。
『明日じゃなくて、今日。今を一生懸命生きるのよ。何か問題があってもその時の精一杯の自分で向き合う。それが生きることだと思う。少なくとも私はそうやって生きてきた』
さよさんが最後にくれた言葉。大切に心にしまって、私はまた次の国へと旅立つ。
ERIKO