5日目(10/22) 頂上ステイ

 5時に目が覚める。スチュアートがテントから出て来るのを見て、日の出を見に一緒に川の近くまで歩いた。
太陽は厚い雲に覆われていて鈍い光が大地を照らした。

 朝ご飯はカーシャだった。カーシャはお粥を牛乳で煮込んだもので、砂糖を大量にかけて食べるロシア定番の朝ご飯である。
ロシアに住んでいた頃、初めてカーシャを食べた時は、気持ち悪さにトイレにかけこんだが、毎日しつこく出てきたせいで帰る頃には好きになってしまった。

 トイレをしようと、適当な岩を探している途中、石だと思って踏み込んだ場所が見事に深い沼だった。膝上まで埋まってしまい慌てて岩にしがみついて這い上がった。今日の散策は靴の中にビニール袋を忍ばせて歩くことになった。

 ガイドのタイロンは、ガイアナのアレコナ族出身。スペイン語も分かるが、主に英語で話をする。
アレコナ族もペモン族の一派で、主にガイアナ側に多く住んでいる先住民族である。ペモン族は主にアレコナ、タウレパン、カマラコトの3つのグループに別れているが、アレコナ族だけ主な宗教がカトリックではなく、
SDA(セブンデー・アドベンチスト教会)であるという違いがある。




        一面にクリスタル・クオーツが広がる


 頂上散策は、滝やウインドウと呼ばれる崖、洞窟、そしてクリスタルの丘などを見て回った。
ロライマはクリスタル・クオーツが採れることでも有名で、そこら中に石と間違えてしまうほどのクリスタルが散らばっている。
“ジャグジー”と呼ばれる深い水たまりの底にもクリスタルがぎっしり敷き詰められていて、入浴すると心身ともに浄化されていくような贅沢な気分だった。





         ジャグジー 水の底は全てクリスタル


 昼食は野菜がたっぷりのサラダとパン。毎回どの食事も外れがないほど美味しい。
ガイドのタイロンが、“カナイマ”について話し始めた。
カナイマ国立公園の“カナイマ”とはタウレパン語で“水のある土地”(
Tierra de el agua)であるが、それとは別に“人殺し”という意味でも使われている。
代々伝わる先住民の間での文化なのだそうだが、“チチャ”と呼ばれる発酵物を体にすり込ませたり、口に入れたりしてトランス状態に陥らせ、人を殺すというものである。チチャを用いる時は、必ず誰かを殺さなければならず、もしそれを行わない場合は、目の前に現れる悪霊に自分が殺されるのだそうだ。
『僕の家族はカマイマに殺された。話をするのは辛いが、これは実際にある我々の文化であることを伝えたい』
タイロンはみんなが聞き取れるギリギリの声でそう言った。

 今日もいつものように夕刻になるに従って、辺りは暗くなっていく。
しかし、今までに一度だって太陽は同じ沈み方をしない。私は小さくなっていく太陽の光と、薄暗くなっていく大地の姿を心に刻みこんだ。


 




6日目(10/23) 下山開始

 テントの中が明るくなったら起き、太陽が沈んだら眠りにつく。
電気のない野外生活は、自然界のリズムに体を委ねる。脳が光のある時間を有効活用したいというように働き出し、もっと寝ていたいとか、欲といったような感情が二の次となる。今まで生きてきた中で初めての感覚。
便利な物は常に無限の欲を作り出し、その欲を満たすために私たちは色々なものを探しまわる。
シンプルな心と生活は、私に直接的な学びと、大切なことは何かを知るきっかけを絶え間なく与えてくれる。



              ウインドウから見えるテプイ


 今日も5時に目が覚めた。
みんなの希望で、昨日訪れたウインドウに再び向かう。辺り一面を覆っていた雲は、私たちを迎え入れてくれるかのようにして瞬く間に消え、天空に浮かんでいるかのようなテプイの姿が露になった。

 今日は初日のキャンプ地まで一気に下山する。
『よくこんな所を登ってきたな』と、何度思っただろか。両手を使いながら急な坂を下っていく。
一度足を止めるとリズムが崩れ、膝がいうことを聞かなくなってしまう。
休憩は1度だけにしてひたすら歩き続けた。
後ろを振り返ると、すでにロライマは遠くにある。名残惜しみながら何度も何度も後ろを振り返った。

 昼の
15時にキャンプ地に到着。今日はスペイン人ウバイの誕生日である。ポーターさん達が準備してくれたワインでお祝いをし、それぞれの国の歌を歌ってプレゼントした。気が付くともう20時。この数日間で一番の夜更かしである。


                  急な下り坂


 


7日目(10/24) 下山2日目


       朝ご飯の準備をするポーターさん達


 テントの外から聞こえる蚊の音で目が覚めた。
昨日選んだテントは、なぜか小便臭い。前の日に男子が使っていたものに違いないと思う。
朝食を取った後、『もう歩き出した方がいい』というポーターさんの勧めもあり、出発時間より少し早めに歩き出した。
穏やかな丘の登り下りを繰り返し、時たま吹く追い風が、太陽で火照った体を冷ましてくれた。
途中から、ポーターのメルビンと一緒になり、話をしながら歩いた。
メルビンはタウレパン族で、サンタ・エレーナに家族を持っている。若干
22歳だが、すでに2人の子供のパパである。背の高いカゴに大量の荷物を担いで歩く姿は格好良い。
『いつから働き始めたの?』
『15歳の頃から。この仕事の方が忙しくて、結局学校を卒業できなかったよ』
遥か遠くからきた登山客の私は、彼の目にどのように映っているだろうか。興味深々に質問をぶつけてくる外人だな、とか思われているだけかもしれない。たわいもない話をしながらふとそう思った。
私がそう思ったのは、メルビンと他に誰の姿も見えない草原地帯で、お互いの時間を共有しているということを大切にしたかったためだと思う。



               ポーターのメルビン


 ゴールまでは急な登り坂が続いた。もう足を前に出すのも精一杯で、自分の意志とは別に歩みが止まってしまうのではないかと心配した。
出発地点のパライラプイ村には、ウバイが先に到着していた。
登山者登録表に下山のサインをし、バッグチャックを受けてベンチに座り込んだ。遠くではしゃぐ子供達の姿が見え、村のことがもっと知りたくなった。私はザックを降ろし、再び村人達の方向へ歩きだした。



            ロライマの麓にあるサンタマリア教会


 

 幸運にもこの7日間、雨が降ったのはたったの15分だけだった。今思うと、もし雨が降っていたら、足の骨1本くらい折れていたかもしれない。

 初めてロライマを見た時は、断崖絶壁の厳かなテーブルマウンテンという印象だけだった。
登山が始まり、ロライマの中へ進むに連れて、地面の色、草木、そこに住む生物、滝、川、岩といった、あらゆる山の表情の中に自分の身を置くことで、山の一つ一つの命、そして総合的に山が一つの生命として存在していることを感じた。山は生きていると実感した瞬間であったかもしれない。

 ロライマに登ろうと思ったのは、単純にどこかに惹かれるものがあったからだ。
山の頂きに立ちたいというより、山とその周囲で生活する人達の生きる様子を知りたかった。山から下りてきた今、目に映る村の人達の姿は、全く違ったものに見える。

 プエルト・オルダスへ向かうバスの中で、ロライマ山に自分の心を置いてきたような、愛おしいとも言える感情が沸き上がった。
ロライマ山が好きになった。そこに住む人も、そこで働く人も、どんなに険しい登り坂も。行ってよかった、そう思う。




一緒にクロスワードをして遊んだタウレパンの子供達

ERIKO



This trip supported by SANKEI TRAVEL DE VENEZUELA C.A

※ベネズエラ旅行のご相談はこちらまで。
sankei.travel@hotmail.com   担当:Sayo Chiba(日本語・スペイン語)