ゴイリスさん一家

8/19

 今日は滞在しているオビエドから、南へ500kmの場所にある、ラ・パスという日本人移住地へ移動する。
出発前、ゴイリスさんに“ヴィラグアラニ”と呼ばれる先住民の人達が住む場所を紹介すると連れて行ってもらった。
着いた場所は、道路の脇にある小さな広場だった。黒いビニールの簡易な小屋から出てきた家族は、子供
3人とそのお母さんだった。
彼らはカグアスという場所から
70km位離れた土地争いからここへ移動してきた人達だという。
彼らの仕事は主に、道でお金の援助をお願いしたり、子供達は赤信号で止まる車の窓ふきなどで小銭を稼いでいるが、多くの人達はお酒を飲み、働く意欲がなく、毎日その日暮らしの生活をしている。
ビニール小屋の中は、赤土の上に敷かれた何枚かの布団と、砂の混じった食事が置いてあり、その周りを犬たちがウロウロしていた。
結局、スペイン語の通じない彼女たちと会話をすることは出来なかった。
家に戻る車の中で、ゴイリスさんは彼女たちの生活状況を淡々と語った。
その言葉の中には、否定的な言葉も肯定的な言葉も入っていなかった。
走る道路の脇には、さっき訪ねた場所と同じような場所がいくつもあった。



 家に着いてからも、どうしてゴイリスさんが教会や市場などの場所ではなく、あの場所へ私を連れて行ったのか考えたが、言葉で理解することではないかもしれないと感じたので聞くのをやめた。

 お昼ご飯に、パラグアイ料理のソパ(甘くないカステラ)、マンディオカ(白いイモ)やチョリソをごちそうになった。
2日間お世話になったゴイリス家族に別れを告げて、ラ・パスへ向けて出発した。
ゴイリスさんは、今までにも数多くの協力隊員やボランティアの日本人のお世話をしてきている。
多くの協力隊員たちは何年もゴイリスさん一家と一緒に過ごし、日本へ帰った後は、音沙汰がなくなり連絡が途絶えてしまうのがほとんどだそうだ。
日本人のボランティアの人達の働きぶりの良さは世界でも評判が良いが、帰国した後、感謝の気持ちを伝えずに良い思い出になってしまうことは、特に絆を大切にするラテンアメリカの人達にとっては残念なことなのであろう。それにも関わらず、初めて会う私たちを信頼して、家へ招いてくれたゴイリスさんの心は本当に広い。

 次の目的地であるラ・パスは、パラグアイにある日本人移住地の一つで、そこでマカダミアナッツ農場をしている、安藤さん一家の自宅でお世話になる。
ラ・パスに到着したのは夜
8時頃だった。安藤さんご夫婦と息子さん夫婦は、私たちの到着を今か今かと待っていてくれた。
『よく来たね、本当にこんな遠い所まで』懐かしい響きの訛った話口調で温かく出迎えてくれた。
家に通してもらうとすでにテーブルの上には、豪勢な日本食が並んでいた。ほうれん草の佃煮、白菜の漬け物、こんにゃくや、里芋が入った煮物にカレーライス、これらの食材はすべて安藤さんの家の手作りのものだった。
お父さんの哲(さとし)さんにワインをごちそうになりながら移住の話や、農場の話などを聞いた。
哲さんは私たちが喜んで食べているのを見て、本当に嬉しそうにしていた。哲さんの顔相を見てすぐに恵まれた人なんだと感じた。
夕食が終わると、噂に聞いていた名物の五右衛門風呂に入れさせてもらった。日本でも入ったことがなかったのに、まさかパラグアイで経験出来るとは思っても見なかった。
お風呂の蓋を開けると、すでに大ぶりのカエルがお風呂に入っていた。
たまにバスタブにお湯をためて、お風呂につかるようにしているが、人に入れてもらうとはまた気持ちよさが違う。今夜はぐっすり眠むれそうである。


                   五右衛門風呂

ERIKO