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ウーゴさんからの電話で起きるとすでに10時をまわっていた。10時間以上寝ていたことになる。
スサーナの職場で待っていると電話を切って、キッチンへ行くと朝食と一緒にメッセージが添えてあった。
“ERIKO Desayuna.Gracias por tu amistad.Estoy muy contenta Susan”
(エリコへ 朝食です。絆をありがとう、私はとても嬉しいです。スーサン)
彼女の細やかな心使いに朝から温かい気持ちになった。
スサーナが働くお店は家から歩いて3ブロックの所にある。
お店に入るとウーゴとスーサンが大きく手を振って待っていてくれた。
彼女の同僚達も『近くを通ったらいつでも来て下さい』と、とても親切にしてくれた。
働く彼女とお別れし、ウーゴに町の中を案内してもらう。市内の中心はとても小さく、歩いてどこへでも行くことができる。
始めに向かったのは“La casa España”(スペインの家)。黄色と赤のカラフルな外観からすぐにスペインが想像できる建物である。
ここはスペイン人がこの町にやって来た時に建てられたもので、ここに住んでいたスペイン人達の役場のような役目を果たしていた場所である。
毎月それぞれがわずかなお金をこの機関へ寄付し、誰かが病気になった時や、困った時などに役立てたりするのを管理したり、他にも様々なことを取りまとめて行っていたそうだ。
現在は、スペインに関係するイベントやフラメンコのレッスンなどに幅広く使用されている。
建物を隅々まで案内してもらった後は、向かいにあるツーリストインフォメーションへ足を伸ばした。
アテンドしてくれた責任者のマリアナさんは、昔JAICAに勤務していた関係で、日本に何度か訪れていた。
サンタクルス州のことについての説明を聞かせてもらい、コップや観光本などのお土産をたくさん頂いた。
お昼ご飯をはさんで、カテドラルや博物館を案内してもらい、ウーゴさんの自宅へ遊びに行った。
木材で統一されただだっ広いリビングには、元パイロットのウーゴさんが飾った、たくさんの飛行機の写真やレプリカが置いてあり、その大半は飛行機事故でなくなった友人パイロット達の思い出のものばかりだった。
奥さんは元客室乗務員で背が高く、エレガントな振る舞いからは育ちの良さが見て取れる。
スサーナの仕事が終わるまでサンドイッチと紅茶をごちそうになった。
土曜日に夕食会をすることを約束して家へ戻った。
スサーナは仕事帰りにも関わらず、疲れた表情など見せず、私の一日の話に耳を傾けた。
スサーナは相手の喜びを自分の喜びに変えてしまう心を持った人である。
彼女はとても貧しい家庭に生まれ、食べ物や着るものに随分困った生活を送っていた。
19才で結婚し、2人の息子に恵まれたが、軍で働く夫との関係がうまくいかなくなり、ある日カバン1つを抱えて家を出た。
寝る所も、働く所もない絶望的な彼女に、『好きなだけここにいなさい』と部屋を貸してくれた一人の友達に救われ、長く苦しい時期を乗り越えた。
『私が身も知らぬあなたを受け入れたのは、私も昔助けられたことがあるからなの。この経験から、物質的な利害関係より、価値のあるものが何なのか学んだわ。温かい経験や出会いは、いつまでも心に残り、どこへでも持って行けて消して消えることないわ』
私は彼女の人生ドラマの連鎖の真っ只中にいた。スサーナを助けてくれた友達がいなければ、私は今ここにいないだろう。たった一人の人生の背景には、数えきれないほどの経験の歴史が隠れている。
ERIKO