
6/28
リマ市から北へ1時間半、Ventanilla(ベンタニジャ)という地区に、日系人のマヌエル・カトウ牧師が設立した、エンマヌエル協会がある。
この協会がある地区は、リマの町とは少し雰囲気が違い、舗装されていない道が目立ち、レンガで出来た家が建ち並んでいる。
到着すると、入り口の前で責任者のアオキさんが待っていてくれた。
エンマヌエル協会は、“Casa de reposo Emmanuel”(老人ホーム),“Hogar Emmanuel”(孤児院),“Policlinico Emmanuel”(病院)の3つの施設から成り立っている。
生活に必要な医療や介護を貧困の地域にと建てられた施設である。
さっそく老人ホームの方を案内してもらった。
きれいに手入れされた庭の通路を通って、広場に出ると、車イスに座ったお年寄り達が輪を作って体操をしていた。
アオキさんが、日本から来たシスターの鳥瀬チエコさんを紹介してくれ、彼女が建物の中やここでの生活について話してくださった。
鳥瀬さんは宮崎から4年前にシスターとしてペルーへやって来た。
貧しい国で働きたいと思っていた時に、ペルーへ来ないかと誘われたことがきっかけだったようだ。
彼女は手際良く、寝室や洗い場など施設の中を案内してくれた。
現在日本からJAICAの女性がボランティアで来ているが、常住して働く現地の看護師が少なく、お年寄りの数に対して全く足りていないと、看護師のシフト表を見つめながら話していた。
ここにいるお年寄りの人達は、家族の問題やドラッグで精神的な問題を抱えている人達が多い。
中には日本から一次移民でペルーに来た(呼び寄せ)日本人も何人かいらっしゃった。
鳥瀬さんにお礼を言って、次に孤児院を案内してもらった。
ここは保育園も併設されており、子供達の明るい声がこだました。
現在、この孤児院は女の子のみが生活している。
彼女達の共同部屋を見させてもらうと、入り口の所に地震の時の緊急バッグが置いてあった。地震の多い国ならではである。
4人で1部屋になっており、どの部屋もきれいに使用されていた。
学校訪問は幾度かさせてもらったが、エマヌエル協会が持つ施設のような場所は初めてだった。
私には、自分のお兄ちゃんのように慕っている人がいる。
彼は物心ついた時には両親がおらず、大人になるまで孤児院で育った。
おもしろくて面倒見が良く、中学生の頃に知り合ってから今でもとても仲良くさせてもらっている。
私にもどの家庭でもあるように、家族とうまくいかない時期があった。
誰にも相談しなかったが、彼にだけはよく話をした。
私があれこれととりとめのない不満や悩みを打ち明けると、彼は一言私にこう言った。
『俺は家族がおらんけんお前の気持ちはわからんけど、お父さんとお母さんがおってありがたいな』
この言葉の後に私が続ける言葉はもうなかった。
曇ったリマの空に少しだけ光が差し込むパティオを歩きながら、湖の底に沈んでいたこの言葉が、ゆっくりと浮かび上がり、また新しい記憶としてこの場所とともに刻まれていくようだった。
はしゃぎ回る子供達にさよならし、最後に病院内を見学させてもらった後、お昼に出発するリマ行きの送迎バスに乗った。
バスで隣に座っていた女性と話をしていると、彼女は製薬会社の営業で病院を訪れたようだった。
エマヌエル病院の話になると、『大体の病院は衛生面や建物が整っていないけど、エマヌエルは本当に数少ない綺麗で安全な病院だわ』と話した。
彼女の話を聞きながら、リマの社会で日系人が果たしている役割は本当に大きいのだと改めて感じた。いや、日系社会だけではないかもしれない。
把握しきれない世界中の様々な場所や人からの協力や助けによって、一つの町が出来ている。
国や町は、一つの固有名詞であると同時に世界そのものであるのかもしれない。
在ペルー日本国大使館協力
Cooperacion de la embajada del Japon En Peru.
ERIKO