リマへ戻って来た夜に食べた、●ちゃんのラーメンがあたったようで、夜中吐き気にうなされほとんど眠れなかった。
昨日は丸1日ベッドの上で過ごした。
現地の食事で一度も当たったことなどなかったのに、自国のメーカーの食べ物で当たってしまうなんて・・・。
マリアに薬局へ連れて行ってもらった際、普段聞き慣れない単語が飛び交い、苦しみながらも必死でメモを取った。
病気の時でないと学べないこともある。その点では非常に得した気分だ。
今日は以前からナスカ・パラカス・イカへ旅行に行く予定でいたので、体調を万全にしておきたかった。
昨日飲んだ薬とゆっくり休んだのが功を奏したのか、朝、お腹の痛みはほとんどなくなっていた。
まだ太陽が昇らないうちに家を出て、7時発のCRUZ DE SURのバスでパラカスへ向かう。
リマの町からウトウトしてハッと目を覚ますと、景色は宍色の砂漠地帯へと変わっていた。
パラカスまで3時間。到着したバス停は、季節外れの海の家のような、わらで出来た簡易な作りの建物で辺りは静まり返っていた。
荷物をヒルトンホテルに下ろす。バケーションで来ている北アメリカ人観光客が、プールの周りではしゃいでいる。
プールの奥には海が広がり、カラフルな飲み物がプールサイドを彩る。
まるで絵に描いたようなリゾート風景である。
ピスコ空港へ着き、すぐに出るはずのセスナは、天候の関係で2時間後の出発となった。
Aerodiana航空のチェックインは荷物の重さを計る代わりに、それぞれの体重を計り、乗客の人数を振り分けた。
波を打ったシルクのような滑らかな砂漠地帯上空を飛ぶこと30分。
初めに見えた地上絵はクジラだった。
想像していたより、ラインははっきりとしていて、コミカルな絵だった。
続いて宇宙人、サル、ハチドリ・・・とどれもラインが見事で美しかった。
ナスカの地上絵も様々な説があるのだが、およそ数百年~2000年前に古代ナスカ人が描いたものであろうと言われている。
ドイツ人考古学者のマリア・ライは、
『星々の位置や動きを地上に写した天文図である』と述べている。
彼女はこの地上絵と出会ってから、残りの人生を研究と遺産の保護に捧げた。
ナスカの人々は彼女を『Madre Pampa(大平原の母)』と呼び、敬愛した。
日本人の楠田枝里子さんは、彼女の活動に心打たれた一人であり、『日本マリア・ライ募金』を設立している。
マリアの生涯については、楠田さんの著書、『ナスカ砂の王国』に詳しく記述されている。
しかし、人は人と同じ物を見ていても、込みあげてくる思いが違うのは不思議なことである。
何人もの人達がこの地上絵を見てきた中で、マリアのように国籍も言葉も違う人間が、人生を変えてしまう出会となったりもするのだから。
自分が本当にしたいことと出会う時は、頭で考えるより先に、自分の体がはっきりとそれだと分かり、迷いがなくなるときなのであろう。
こうして今日このナスカの地上絵が見られるのも、たくさんの人達の思いや努力のお陰なのである。
大きく右に左に揺れる機体に、半分乗りもの酔いになりながらも、感謝の気持ちでいっぱいだった。
ERIKO
This trip supported by MICKEY TOUR