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 アレキパ2日目の今日は、郊外の散策と市内の博物館巡りをすることにした。ホームステイをしている家の子供達は、今日も学校がお休みで、遅くまで寝ていたようで、私が出かける前には誰もリビングへ降りて来ていなかった。

 どの国でもありそうな、
2階建ての観光バスを予約し、出発予定時間の1時間後にようやくバスが到着した。
乗客は
5人。バスが大きいだけのプライベートのツアーのようだ。

 小さな坂に沿って、
アレキパ独特の灰色の建物の壁に、真っ赤な花が小さくいくつも立てかけてあり、まるでどこかの古いヨーロッパの町並みのような道が続いていた。
標高
5822mミスティ山を見渡すことの出来る丘の上までくると、山の麓には景色をより美しく見せるかのように、段々畑が広がり、一本の川が流れていた。
アレキパの空は、薄い水色で、山々もそれに同化するようにうっすらと見える。標高が低いためか、草木の緑や花の色が濃く、燦々と照りつける太陽に当たって、より鮮明な色に映える。
日中は温度が高く、
Tシャツで過ごせるくらいの気候である。
久しぶりに温かい気候の中で過ごしていると、ぼーっとしてしまう時間が増える。そしてしばらくすると寒さが恋しくなってしまう。

 2
階建てバスツアーはお昼過ぎに終了し、3人前はありそうな大きさのお皿の昼食を食べて、“Monasterio de Santa Catalina”(サンタ・カタリーナ修道院)を訪ねた。
友達から、最低でも
3時間はかかると言われていた通り、修道院内は一つの町のように広かった。
オレンジやブルーに塗られた建物の間の道を進みながら、修道女達が暮らしていたそれぞれの部屋を見学した。
ベッドやソファーは当時のままになっており、一つ一つの部屋にキッチンまで付いていた。
時間があれば
1日中いても飽きないような見応えのある場所である。
修道院内に作られてカフェテラスでコカ茶を飲んでいると、目の前の真っ赤な花にハチドリが止まった。
空中で止まったり、飛び回ったりする姿はとても愛嬌がある。

 アレキパに着いたら是非行ってみたい場所があった。
世界的に有名な美少女、フアニータのいる博物館である。
彼女の遺体は“
Museo Santuarios Andinos”(サンチュアリオス・アンディーノス博物館)で保管されている。夕方だったせいか、人は少なかった。
初めの
20分、ナショジオが作ったVTRを見てからガイドと共に館内へ入った。
中は薄暗くエアコンがよくきいていてとても寒かった。
一つ一つの展示物が細かく丁寧にガラスケースの中に入っていた。

 フアニータは今から約
500年前、インカ帝国時代に“La Capaccocha(ラ・カパコチャ)と呼ばれる、山の神へ人の命を供物として捧げる儀式で生け贄となった少女として有名である。
199598日、アメリカ人の人類学者、ジョアン・レインハードが、アプ・アンパト山の頂上付近で発見した。
フアニータが発見されたその後も、
3体の子供のミイラが見つかっている。
彼女の名前は、ジョアンのスペイン語読みである、“フアン”から取って付けられ、彼女以外の子供達に名前は付いていない。

 館内にはアンパ山から見つかったキープ(インカ時代、文字の変わりに使われていた紐)が展示してあり、紐の途中に付いている印は、子供達とフアニータが見つかった場所と一致していた。
部屋をいくつか抜けると、暗室の一番奥にフアニータの姿があった。
実際にみると生々しく容易に近づけないオーラを放っていた。
しばらく遠くから眺めたあと、彼女の入っているガラスへ近づいた。
冷凍保存されている彼女には凍りがたくさんついていた。
右の額に殴られた跡があった。フアニータはミイラではない。
彼女は未だに凍ったままなのだ。

 この時代、美しい子供が生け贄として選ばれていて、フアニータはとても美少女だったと言われている。
日本を出る前にフアニータの話を聞いた時は、全てが遠い話のようで、世界のどこかでそのようなことがあってもおかしくないとさえ思っていた。

 ペルーへ来て
1ヶ月。クスコへ入ってからアンデスの文化に少しずつ触れ、山という神様の存在をなんとなくだが体で感じるようになった。
今、フアニータを目の前に、水、空気、火、土の全てを持ち合わせ、人を生かす術を無性で与える山に、人間の尊い命を捧げるという行為は、与え合いを重んじる彼らにとっての返礼に過ぎないのかもしれないと感じた。
生かされていることに気づいた彼らの命掛けの行為に改めて真実性を感じた日だった。




ERIKO