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 乗船場に着くと、チチカカ湖に朝日の新しい光が反射して、湖面の平行に輝く白い光の線が見えた。
2ヶ月前に見た時と変わらず、湖は深い静けさを保っていた。

 本日のガイドは、プーノ生まれのファウストさん
28才。
家族がアイマラ出身のため、アイマラの文化にとても詳しい。





 水上バスで約
40分、チチカカ湖に浮かぶ島、ウロス島に到着した。
ウロスとは、アイマラ語で“チチカカの息子”という意味を持つ。
トトラと呼ばれる葦で出来た浮き島の上では、カラフルな原色の民族衣装を着た女性達が出迎えてくれた。
ペルーの浮き島は、ボリビアと違って、現在も人々が暮らしている。
彼らは観光客にも慣れている様子で、積極的に島の生活についての説明をしてくれた。
トトラの深さは約
2m30年に一回は島を作り変えるのだそうだ。

 そもそも浮き島に人々が住み出したのは、スペイン人がやってきた頃のこと。
人々を征服しようとしたスペイン人との争いを避けるため、湖の上に住居を作り、支配されないように逃げたのが始まりだった。
このチチカカ湖を上空から眺めると、プーマの形をしている。
詳しい内容は、
History CannelAncient Aliensに詳しく説明されているが、宇宙人によって湖がプーマの形をしていると伝えたとされている。

 浮き島を踏みしめると、トトラが柔らかく沈み、足取りをゆっくりさせてくれる。
『カミサラキ~』(お元気ですか?)とアイマラ語で挨拶すると、彼らは大歓迎をしてくれた。
オルガさんという女性が、家の中を案内してくれ、彼女の持っている民族衣装を着せてくれた。
真っ黄色のスカートに、緑の羽織ものと、未婚女性が被る帽子を被って、しばらく島の中を見学した。
島を離れる間際、女性達が並んでアイマラ語の歌を歌って送り出してくれた。
隣に座っていたコロンビア人の女性は、美しいといって涙を流していた。
船が走り出すと、学校へ向かう小学生達がモーターの付いたボートに乗って登校している姿を見かけた。
ウロス島での学校教育は、全てスペイン語のみで行われているそうだ。





 ウロス島を出発して
2時間半、ボリビアとの国境近くの、タキーレ島に到着した。
チチカカ湖に浮かぶ島を訪ねる度に、天国という場所があるならこんな所ではないかと思わせるほど、長閑で平和な印象を受ける。
島の中を歩いているだけで、気持ちが明るくなり、余計なことが不思議と頭に浮かばない。

 タキーレ島は、インカ帝国時代のケチュア文化が残っている場所である。
島民は約
3000人、学校の教師や、病院の医師はプーノから来ている。
島の男性は長い帽子を被っており、その色や被り方で、自分の身元(主に未婚、既婚)を表している。
昼食はキヌア(粟)のスープとトゥルチャ(マス)を食べた。
丘の上まで上がると、標高は
4000m近くなり、頂上付近の広場では観光客に混じって、子供達が元気に走り回っていた。
島の中をトレッキングし、船へ戻った。

 プーノへ戻る船の中で、ガイドのファウストさんと船の甲板の上で話をした。
彼はスペイン語はもちろん、英語のガイドも努めている。
どこで勉強したのか訪ねると、父親が教育熱心で、小さい頃から勉強を強いられていたと話した。
彼の家族は熱心なパチャママ信仰のアイマラ族の家庭で、彼の体には、アイマラスピリットが宿っているという。
昔は嫌だった父からの教育が、今は自分の視野を広げてくれるためだったことに気づき、大変感謝しているという。

 全てのものは繰り返されると信じるアイマラ文化は、言葉にも終わりを表す表現がない。
例えば、“さよなら”などという言葉は存在しないのだそうだ。
『太陽は沈んでも、必ず次の朝にはまた顔を出す。明日は光がないかもしれないと考えることなく、無条件に昇ってくれる。それが、僕には奇跡のように感じるし、ありがたいことなんだ』

 彼の話を聞きながら、チチカカ湖を照らす沈みかけの太陽を見た。
そういえば、明日太陽が昇ってくれるかなんて心配したことなんてない。
当たり前に繰り返されていることを改めて感じてみると、畏怖の念とも言える気持ちが沸き上がってきた。
そして、その有り難みに気づけたことに幸せを感じた。幸せは自分が受け取っているものに、感謝することなのかもしれない。
彼の夢は、旅をすることと、勉強を続けることだそうだ。

Caminante,no hay camino,camino se hace al andar
旅人に道はない、歩いていく所に道が出来る

“プーマ”という言葉の次に彼が大切にしている言葉だそうだ。
    



This trip supported by MICKY TOUR

ERIKO