
クスコのPoroy駅から、約3時間半。山と山の間の谷を30遅れで出発したPERURAILの電車に乗って、マチュピチュへ向かう。
いくつかの小さな村を通り越し、コイヨリティで巡礼したアプ・サンガティ山を拝みながら、そびえ立つ山々景色を車窓から眺める。
濃い緑に囲まれながら、マチュピチュの駅を降りると、ここからセルバ(アマゾン地帯)が始まるのが納得出来るほど、空気が湿って蒸し暑いくらいの気候だった。
昨日は、インカ帝国時代に栄えた村、Pisac(ピサック)や、砦の遺跡であった、Oyantaytambo(オリャンタイタンボ)を訪ね、クスコを中心としたインカ帝国の重要な村や遺跡巡りをした。
マチュピチュは誰もが知っている有名な世界遺産である。
インカ帝国は、クスコを中心に4つの地域(タワンティンスーユ)に分けられ、そこから更に、4分割×2の地区に分かれている。
私が現在来ているマチュピチュは、Pisac,Oyantaytambo、そして未だ発見されていないもう一つの地区の4つが1つのまとまりになっている。
マチュピチュを訪れる前に、これらの遺跡を見て回ることで、よりそれぞれの特徴が際立って見える。
この場所が周囲のどの遺跡よりも人々を惹き付けるのは、やはりスペイン人に見つかることなく、ほぼ無傷のまま残っている場所であること。
そして手つかずの自然のど真ん中に出現する、あたかも宙に浮いているような古代都市が、自分が確かに踏みしめている場所さえも、疑ってしまいそうになる、まさに異空間と呼べる場所だからではないだろうか。
今回参加したガイドのグループは英語だったが、日本人の観光客を相手に、巧みな日本語でガイドを務めるペルー人を何人か見かけた。
日本語は特殊な文法構造を持つ難しい言語だが、どのようにして習得しているのかとても気になって訪ねてみた。
すると、クスケーニョの人達はケチュア語とスペイン語が混ざった、“ケチュアニョール”を普段の会話でよく使い、ケチュア語と日本語は、意味と単語の音が一致する語彙が極めて多く、親しみやすい言語だと言う。
例えば、ウマ=馬、クマ=熊、アカチャ=赤ちゃん、コンニチワ=私を温めて下さい(Calientame)など。このように音が類似する単語が、200以上は存在するという。
アンデスの人達の顔つきがモンゴロイドに似ていることも含めて、アジアと南米との関係がさらに興味深くなった。
マチュピチュの遺跡が一望出来る丘の上付近へ登る途中、階段横の芝生で作業をしている男性達に出会った。
彼らは、このマチュピチュ遺跡の美しさをより際立たせる緑の芝生(チグワ)を管理し、植樹をしていた。
彼らの日々の地道なケアーが、目に飛び込んで来るこの素晴らしい景色を作り上げてくれている。
閉園の17時半ギリギリまで遺跡巡りを楽しんだ。明日は、トップの写真奥に見える小高い山、“ワイナピチュ”へ登る。