
コイヨリティの衝撃と、カメラのことが気になってあまり眠れなかった気がする。
昨日は、電化製品が売っているソル通りでカメラを探すが、どれを買っていいのか分からず、いつもなにかとお世話になっているカメラマンの伊藤さんに何度も相談した。
街は、Entrada de corpusの日ということもあって、またしても踊りと音楽で賑わっていた。
6月はクスコの月といわれるほど、イベントが多い月なのだ。
Plaza Sanfrancisco広場では、この時期にしか食べることの出来ない、Chiriuchuという料理の屋台がずらりと並んでいた。
一つのお皿に、揚げパンとクイ、豚肉が山盛りにのった伝統料理である。
楽しそうに食事をしているおばちゃん達から、試食を迫られ、それらをもらっているうちにお腹がいっぱいになってしまった。
陽気なサンバのリズムにつられて、バンドの人達が演奏する広場へ行くと、地元の人達に、『Mama! Cerveza!』(ビール、ビール!)と呼びかけられ、クスケーニョビールを勧められた。
いつもはシャイで話せるチャンスの少ない、先住民族のおばあちゃんも、お酒が入り気さくに話しかけてくれた。
私が覚えたばかりのケチュア語で、『ノカスーティーエリコ』(私の名前はエリコです)と話すと、彼らは完全に心を開いてくれ、次から次へと歓迎のお酒が振る舞われた。
結局夕方近くまで、地元の人達の輪の中で時間を過ごした。
今日は午後から、団体ツアーに参加した。ツアーに参加しているのは、ほとんどがブラジル人で、半分以上がツアーが始まってしばらくしてから徐々に合流した。
ホテルから歩いてすぐのQORIKANCHA(黄金のある場所)を訪ねた。
神殿は巧妙に積み上げられた石で出来ており、まっすぐに切られた石からは、ボリビアで栄えたティワナク文明の影響がすぐに伺えた。
金で作られた神を表すシンボル達は、全ては繋がっているという深い意味が込められている。
ケチュア語には、友達、おじさん、外国人といった、人の種類を判断する単語は存在せず、全ての人達がMama,Papa,Hermano,Hermana(お母さん、お父さん、兄弟、姉妹)という一つの家族であるという認識を持っている。
この話を聞いて、クスケーニョ(クスコの人)がどうしてAmigo(アミーゴ)と言わず、女性をMamaと呼び、男性をPapaと呼んでいるのかがよく分かった。今もなお、人々はインカの意識を受け継いでいる。
今回のガイドさんはダニーさんというクスコ出身の男性。
彼はクスコやインカの歴史について大学や教育機関で学んだわけではなく、生まれた土地で、歴史を体験しながら育った、リアルなガイドである。
彼から発せられる言葉は非常に力があり、聞くものの心を揺さぶった。
Tambomachay(タンボマチャイ)遺跡につくと、パチャママ(大地の神)についての詳しい説明をしてくれた。
『1本の木は、ただの1本の木ではない。そこには何十種類ものアリたちが暮らし、数えきれないほどのバクテリアがいる。私たちも自然の一部であり、いくら孤独を感じようと、単一であることはありえない』
インドの聖典も、アンデスの教えも、聞く度に当たり前のことを違う角度から見つめ直させてくれる。
最後にQ’enqo(ケンコー)遺跡という、パチャママが住むと言われている場所へ案内してもらった。
ここでは、全てを生み出す大地、太陽、自然、すなわち神からの恩恵を返上するために、一度に300人以上の子供たちが生け贄となった場所である。
インカの教えでは、“相互関係”(reciprocidad)が大切にされ、人間が酸素を取り入れて、外へ吐き出すように、受け取ったものをお返しするという文化があった。
生け贄を捧げ悲しみにふけた人々は、クスコの街の中心にある、Plaza de Alma(ケチュア語でワカイパタ=泣くための場所)で悲しみの涙を流したという。
ガイドのダニーさんの魂を揺すぶられる説明に、私は感動して涙を流した。みんなが買い物をしている時間、彼と少し話をした。
彼は、『自分がまさかガイドになるなんて思ってもいなかった。天文学者にでもなって、星の研究をしたいと思っていた』と話した。
そして時計を気にしながら急ぎ足で彼の生い立ちを簡単に説明したあと、こう続けた。
『僕はいつも見続けてきた言葉がある。家の壁に貼ってあった言葉なんだけど、いつの間にかそれが僕の人生と一緒に歩いているような気がする。』
“Nunca consegui lo que quiero,pero siempre tengo lo que necesita.”
望んだものは手に入らなかったが、必要であるものは常にここにある。
自ら望んだ場所にいることはないが、いなければならない場所にいつも私はいる。
ホテルへの帰り道、幾度か見てきた中央広場のPlaza de Almaは、心なしかいつもと違って見えた。
ERIKO