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1年に一度、満月の日に行われる伝統の巡礼祭“Qoyllur Ritt’i”(コイヨリティ)。
ペルー滞在日程を6月にした一番の理由は、この巡礼に参加するためだった。
初めてコイヨリティの存在を知ったのは、関野吉春さんの本がきっかけだっただろうか。雪山を十字架を担いで登る人々の写真が脳裏に焼き付き、日々の生活のふとした時に思い出すのだった。
コイヨリティはケチュア語でEstrella de la nieve(星の雪)の意味を持ち、1780年代、インディオのマリアーノ・マイタとメスティソのマヌエルとの間に起こった不思議な出来事が起源となっている。
アンデスの山信仰とカトリックが融合した興味深い祭りである。
今日はこの巡礼祭に参加する日である。MICKY TOURさんに特別手配をお願いし、コック、ポーター、ガイドさんを付けて山へ登る。
早朝、まだ辺りは暗く、丘の上にオレンジの光がポツポツと灯っている頃、クスコのホテルを出発した。
まずは車で行くことの出来る一番標高の高い所、マワヤニ村へ向かう。
エメラルドグリーンに輝く、ウィルマカニ川の流れに逆いながら、車は上へ上へと登っていく。
マワヤニ村では、カラフルな座布団のようなモンテラという帽子を被った女性達が、トゥルチャやチチャロンを料理していた。
村の子供達は馬の糞など気にすることなく、裸足で駆けずり回っている。
この村で馬を借り、巡礼地へと向かう。
馬に乗ったのはいつ振りだろう。小さい頃、地元の牧場で乗せてもらったことがあるかもしれないが、もしかすると初めてかもしれない。
私の乗った白馬は、首の所に緑色のインクで36と書かれていた。
出発するとすぐ、断崖絶壁の狭い道へ入った。馬は崖ギリギリの所を歩き、いつか足を踏み外すのではないかとビクビクした。
馬を先導するロナウド君は、5才くらいだろうか。『馬が驚くから静かにね!』とさっそく注意を受けてしまった。なんとも逞しい。
ロナウド君は、日本人と会うのが初めてだったようで、『日本ではジャガイモは取れるの?』と、大好きなイモについての質問をしては、こっそり嬉しそうな表情を浮かべた。
山と山の間を進むこと1時間半。湿原地帯にアルパカの群れが現れ出した頃、黒い岩肌に白く光る山が見えた。雪かと思い手に取ると、丸い氷の粒、豹だった。一度休憩を取り、バナナを食べる。標高が上がるにつれてますます食欲は落ちていく。
コイヨリティが行われるのは、アプサンガティと呼ばれる山の一部である、シナカラ山である。
シナカラ山はウィルマカニ川(Rio Sagrado)の水源であり、全てを生み出す元となる、すなわち神と称えられている。
これはインドのガンガー(ガンジス川)がヒマラヤ(大きな心を持つものの意)を水源とし、人々が山への信仰を持っていることと似ている。
さらにガンガーは女神(女)、シナカラ山も女性だと言われている。
巡礼者はシナカラの水源から水を持ち帰り、畑や身体など大切なものにかけるのだそうだ。
馬に長時間乗っていたせいか、お尻が筋肉痛である。
教会の周りのあちこちでは、たくさんのグループの踊り手達が、チコテ(ムチ)を振り回しながら踊っている。
人ごみと調理をするモクモクした煙の匂いで、だんだん具合が悪くなってきた。コカ茶を飲んでしばらく休んだが、ここへ来て重度の高山病にかかってしまった。
テントの中で横になるが、頭が割れそうなほど痛い。
さらにはトイレへ行く途中、気を失って倒れてしまった。
気づいた時には、酸素吸入器が口元に当てられ、3人の男性が助けてくれていた。少し意識が戻り、彼らが薬を飲んだ方がいいと錠剤を渡してくれた。
いつもなら用心深く疑って断る所だが、彼らが出てきたテントに“National Geographic”の文字が見えたので、彼らを信じて薬を受け取った。
1時間ほど経つと頭痛は嘘みたいにどこかへ消えていった。
ガイドのオズワルドは、
『山がエリコに嫉妬しているんだよ。ここは山の神に許された人しか自由に動けない場所なんだ』と話した。
日が暮れると、金色に丸く光った月が輝き出し、闇が深まるに従って、踊り手達の演奏は次第に激しくなった。
オズワルド達は、空を見上げて星と対話するのを待った。
この日の星の瞬きかたで、来年がどんな年になるのか分かるという。
人々は、毎年ここへ星とコンタクトを取りに来る。
真夜中、祭りはピークに達し、トランス状態になった男達は、それぞれのテリトリーの雪山へ向かった。テントの中で笛と太鼓の音が鳴り響く。
湿地帯の大地は、彼らの魂が揺れる度に、大きく振動した。
ERIKO