チリ最終日。パッキングをして、次の国でのスケジュール調整などをした。21日の今日は、太平洋戦争におけるイキケ海戦での勝利を記念して制定された海軍記念日で、家族は家で娘ダニエラの英語の宿題の面倒を見ていた。チリの教育は進んでいるのか、出されていた宿題は、家族構成を英語で発表するというものだった。
英語のみならず算数に関しても、ダニエラの部屋に貼ってある九九は、十二段まで存在している。学校の友達と、発表の練習をし合っていた。

 夜は、在チリ日本国大使館の村上大使と大使館の方達のご好意で、食事に同席した。村上大使は
Valparaisoから戻られて、忙しい中時間を割いて下さった。チリ大使館の皆様、滞在中は本当にお世話になりました。

 チリでの滞在期間計
25日間。首都のサンティアゴに到着してすぐ、イースター島、アタカマ砂漠を旅した。
イースター島は、チリといえども今なお独自の文化が色濃く残っている場所で、孤島に住む人達の内に秘めた強さに出会うことができた。
アタカマ砂漠では、ボリビアで感じた懐かしいアンデスの空気を再び感じることができ、南のリキニェでは念願だったマプーチェの人達と触れ合った。チリは広い。この地を旅すればするほど、同じ一つの国だとは思えないくらいの多様性に富んでいる。

 チリでの生活で強く感じたのは、女性の独立精神の強さである。一昔前の時代は、男性が権力を握り、女性の立場が弱かった。
妊婦にも電車で席を譲ってくれなかった時期もあったという話も聞いたりした。
私が出会ったチリ人の女性達は、子供がいても一人で生活していたり、離婚して自分で生活をしている人達がほとんどであった。
どういう結果を生もうとも、彼女たちは感じる心のままに素直にそれらを実行している。良い意味で我慢をしない。そんな生き方をしている。

 チリの宗教的割合は、カトリックの方が圧倒的に多いが、近年Evangelico(プロテスタント)が急増している。
大勢で集まって歌ったり踊ってたりするのが好きなチリ人に、エバンヘリコへの人気が高まっているという。
私が滞在していた家族もエバンヘリコで、特にリキニェでお世話になったこの家族の両親は、とても熱心な信者だった。最低でも
5分に一回は神への言葉を投げかけ、ここにいる間は神を信じなさいと何度も言われた。
あとで分かったことだが、この村には病院がないし、医者もいない。彼らの健康を守ってくれるのは神様だけなのだ。
この厳しい生活環境の中、何かを信じることで、彼らは精神的にも肉体的にも安定していられるのだと思う。


 私が信じているものは何だろうか。
人生の大きな決断から、今日何をするという小さな決断まで。どういう結果を招こうが、私は常に自分の決断を信じている。
やったことはすべて成功。やらなかったら失敗。そう思って生きている。
形は違えど、私も同じように何かを信じることが生きる糧に繋がっている。



 サンティアゴで長くお世話になったジェニー。彼女は最近
2ヶ月休んでいた仕事に復帰した。もうすぐ彼女が書いた子供向けの教育本が出版する。是非読んでみたい。料理が上手なジェニーのキッチンには、たくさんの諺が書いてあった。

Mas vale dar…que recibir…”

(受け取るより価値あるのは、与えること)

私が接したチリの人達は、与えることを惜しまなかった。
“与える喜び”   それが私がチリで学んだことだ
    




ERIKO