
5/12
今、ジェニーの両親が住んでいる、サンティアゴから約1000kmのリキニェという町に来ている。チリ人にリキニェに行って来ると言って場所が分かった人は一人もいなかったほど、知られていない場所なのかもしれない。ここはマプーチェという、チリの先住民族が暮らしている土地だ。
マプーチェのことを知ったのは、日本にあるチリ大使館へ行った時だった。受付のEmaさんという女性が、チリにはマプーチェというとても興味深い文化が残っていると紹介してくれた。それを聞いてから様々なルートでマプーチェの文化に接するための伝手を探したが見つからなかった。
しかし諦めず言い続けた甲斐があってか、サンティアゴでステイしている家族の両親がマプーチェの人達が暮らす所で暮らしていて、是非遊びに来ないかと誘ってくれた。
こうして私のマプーチェの人達を知るという夢が叶った。
私はいつも自分のやりたいことや夢が見つかると、1日10人の人に話すようにしている。そうすると不思議な偶然や、縁が出来る。
叶うという字も口に十と書く。
サンティアゴからバスで11時間、Villa Rica(ビジャリカ)という町に着いた。寝起きの状態でバスを降りると、ジェニーの両親が迎えに来てくれていた。お母さんの名前はヒメナさん、お父さんはマヌエルという名前だが、ウィニー(クマのプーさん)とタタマノロと呼ばれている。
真っ白に輝くVolcan Villa Rica(ビジャリカ火山)を眺めながら、車で約2時間Liquiñeの町に着いた。
今日はマプーチェの村の人の50周年結婚式(bodas de oro)は行われるということで、参加させてもらえることになった。式場はイベントが行われるような小さなホールで、そこへ村人達50人ほどが集まっていた。式は主に歌を合唱したり、牧師の話を聞いたりといったものだった。
式が終わった後に、みんなの昼食会に加わらせてもらった。村の人達は、外国人の私に興味深々な様子で、中には珍しそうに写真を撮っている人もいた。
食事中、マプーチェの人達が話す、マプヌングン語を教えてもらった。子音が多く、発音がとても繊細で、なかなか聞き取ることが難しい。しかし覚えた言葉をマプーチェの人に話すと、ビックリするほど打ち解けることができる。言葉の持つ力の凄さをあらためて感じた。
マプヌングン語での挨拶は、“マリマリペニー”(Hola、こんにちは)という。マリとは数字の5のことで、“手”を意味し、2度繰り返すのは2つの手に相手を攻撃するものを持っていないこと示すためだそうだ。欧米の“Shake hands”とコンセプトは非常に近いかもしれない。
この村のマプーチェの人達のプロテスタントの信仰心は強い。式の最中や、昼食の時も神に祈りを捧げることを欠かさず、中には感情が高ぶって叫んだり、泣き出す人達もいた。昼食は夜8時まで続いた。最後に村人たちは全員で私の旅の安全を祈ってくれた。
今日から宿泊する家は、マルガリータさんというマプーチェの人の家である。電気もない場所だと想像していたが、テレビもあるし、水道も付いていた。家には料理の時に使う大きなストーブが置いてあり、薪をくべて部屋を暖める。トイレはあるがお風呂はないので、近くの温泉が湧き出る泉へ行って体を洗う。
夜、ウィニーとタタ、そしてマルガリータの家に住む高校生のマグダレナと一緒に森の中の温泉へ行った。辺りは真っ暗で、懐中電灯を照らしながら歩いた。硫黄の臭いが強くなった辺りで、水が張っている場所が現れた。水着に着替え、手探りでお湯を探しながら、ゆっくり足から体を湯につからせた。ちょうどいい温度だった。暗くて何も見えないが、手で底を探ると岩と砂利がゴロゴロ転がっていた。
空を見上げると、天の川と銀河がくっきり見え、黒い闇が隠れてしまいそうなほど星で埋め尽くされていた。ウィニーとタタが10年前に都会からこの地へ引っ越して来た理由が少しだけ分かったような気がした。
ERIKO