朝の通勤ラッシュの地下鉄にもまれながら、Universidad de Santiagoというバスターミナルのある駅へ着いた。今日はサンティアゴからバスで約1時間半の所にある、バルパライソとビーニャを観光することにした。家族のジェニーと行くはずだったが、急遽痛んでいる肩の診察へ行くことになったので、1人で出かけた。

 毎週娘のダニエラに英語を教えている、カタリーナがバルパライソの大学へ通っているので、今日は彼女に町を案内して貰えることになった。
バスはサンティアゴから
1500ペソ(約280円)、時間帯によって金額は変わるが、とってもお得である。
バスに乗ったらぐっすり寝てしまい、気がついたらバルパライソの駅のターミナルに着いていた。バスを降りると、カタリーナが出迎えてくれた。

 さっそく丘の上へ上がってみることにした。バルパライソは世界遺産に指定されているチリの主要な港町であり、たくさんの丘にカラフルな家が建ち並ぶ、歴史的な場所である。
市内バスに乗って、チリの詩人、
Pablo Nerudaが住んでいた博物館へ向かった。パブロ・ネルーダ(本名:リカルド・エリエセール・ネフタリ・レイエス)はチリで最も有名な詩人であり、たくさんの国を旅しては、当時珍しかった外国製品を買い集めていた。

La Sebastianaは、当時彼が住んでいた家がそのまま博物館になっており、5階建ての家には、それぞれの階に、彼が生涯に渡って集めた素晴らしいコレクションの数々が展示してあった。
彼の書斎から見えるバルパライソの美しい丘と港は、きっと彼の感性をより豊かにしたに違いない。




 彼の博物館を去ったあと、私たちは丘を歩き、町の中心街へ戻った。
カタリーナは、大学へ行く以前はサンティアゴに住んでいたが、すっかりこの町が気に入り、卒業した後も、この町で英語の教師として働きたいと話していた。彼女は今、友達と
3人でルームシェアーをして暮らしている。

 私も少しの時間しかこの町を歩いていないが、ここは住んでみたいと思う場所だった。豊かな緑と海、町に出れば、ある程度生活に必要なものが揃っている。このようにバランスのとれた町は珍しい。


 お昼は町のメルカード(大衆食堂)へ行き、"Pancho"というレストランでチャキカンを食べた。これはバルパライソの定番の料理だそうだ。

 Pancho(パンチョ)とは、昔のバルパライソの呼び名で、船でバルパライソにやって来る船乗り達が、サンフランシスコ(当時パンチョと呼ばれていた)教会に灯る明かりを頼りにしていたことからこの名が付いたそうだ。




 食事の後、バスで
15分の隣町、Vina(ビーニャ)へ向かった。ビーニャはバルパライソに比べ、もっと都会的で観光地化している場所だった。
バルパライソでは、通りにゴミや犬の糞が散乱していたが、ビーニャはゴミ一つ落ちていないような、きれいに整備された町だった。立ち並ぶ建物も、アンティークなものはなく、近代的なビルばかりで、やはりこちらに住んでいるのはお金持ちが多いらしい。
海岸沿いには、生まれて初めて目にするペリカン達が気持ち良さそうに泳いでいた。海岸の遊歩道に平行して並ぶ大きな岩には、たくさん諺が書いてあった。


 しばらく海岸沿いを歩いていると、とっくに帰りのバスの出発の時間になっていた。もうどうやっても間に合わない。時計も携帯も持っていないので、すっかり時間を忘れてしまっていた。
バスターミナルへ行くと、バスは出てしまっていた。ここはボリビアではない。バスも定刻に出発するチリという国なのだ。バス会社でチケットを変更して貰った。遅く出る便は少し料金が高かったので、不足分
1300ペソを払った。

1日一緒に時間を過ごしてくれたカタリーナにお礼を行って、バスに乗り込んだ。バスに揺られ1時間半ほどすると、遠くにオレンジ色の都会の光が瞬いていた。
たった
1時間東へ行っただけで、こんなに違う環境や世界がある。1日の小旅行は、私に今立っている場所が世界のすべてではないことを改めて感じさせてくれた。




ERIKO