5/9
先日イースター島でのミッションで出会ったマルゲリータさんが、別れ際にサンティアゴに住む、彼女の娘のカアラさんの連絡先を教えてくれた。さっそくサンティアゴへ戻ってから彼女とコンタクトを取り会うこととなった。ミッションをお願いしてくれたSさんが、イースター島でマルゲリータさんの家に滞在していた時、カアラさんはまだ10才だった。Sさんも
『カアラがどんな大人になっているのか楽しみだ』と話していた。
カアラさんと夕方17時に日本大使館前で会うことになった。私は16時から大使館へ訪問する予定で、自宅近くからタクシーで向かった。お金を払ってタクシーを降りると、2人の若者が入り口の警備員がいる場所に立っていた。『エリコ?』カアラさんだった。
『夜に用事が出来てしまって早く来てしまったの!でもここで待ってるから行ってきてちょうだい』
カアラさんのゆっくりした話し方、キレイに日焼けした肌と指のタトゥーが、私に島の記憶を蘇らせ、都会に流れる時間と騒音が一瞬止まってしまったかのようだった。私が一緒に中へ入るかと聞くと、ここで待っているというので、一度お別れをして大使館の中へ入った。1時間ほど経って外へ出ると、カアラは一緒に来た友達の車の中で待ってくれていた。
朝からなにも食べていないというので、レストランで食事をしながら話をすることにした。大使館からすぐのレストランは、17時というちょうど夜からの営業が始まったばかりの時間であるともあって、ガラガラだった。
カアラと一緒に来た友達も子供の頃イースター島に住んでいたという。彼は右耳に補聴器を付けていて、発声が簡単に行えないようだった。話す度に大きく口を動かして一生懸命私に話しかけてくれ、私が彼の言葉を理解する度、喜びの表情を浮かべた。
カアラさんは現在29才、Sさんと会ってから19年経っている。今は島を離れ、1人で法律の勉強をしながら5才の子供を育てている。
『実は何年もHirokoのことを探していたの。彼女がテレビ関係の仕事をしているのは知っていたから、色々調べたりもしたけど、手がかりはなかったわ。だからあなたから電話がかかって来た時、信じられないくらい嬉しかったわ』
彼女はSさんが島にいたときのことや、好んで食べていた食べ物の話をした。小さい頃のことなのに本当に細かい部分までよく覚えているなと感心した。
彼女は5年前に娘を産んで、結婚はせずに一人で育てている。
『近くに家族はいないけど、何人かの親戚や島の人達がサンティアゴに住んでいるから、しょっちゅう集まって話をしているの。いつかは必ず島へ帰るわ。都会は島とは違って空気も汚いし住みにくいけど、強く生きていかなければならないの』
彼女はチーズと鶏肉のフライを食べ、子供を保育園に迎えに行かなきゃと言ってお勘定を頼んだ。カアラと彼女の友達は、私の家の前まで車で送ってくれた。家に着くまで何度も私に『Hirokoの連絡先を送るのを忘れないで』とお願いした。
チリの女性は強い。私の家族もそうだが、男性に頼ることをあまり好まない。若い人の多くが結婚を望まず、自分の生き方を見つけ出そうとする人が多いという。マーケットを歩いている時に、結婚式で使用するカップルの人形も、面白半分だとは思うが、花嫁が花婿を担いでいるものをたくさん見かけた。
カアラの話を聞くと、生活はとても大変そうだった。ましてやあのような大自然の中の絶海の孤島で生まれ育った彼女にとって、サンティアゴという町は、忙しく無機質なものに見えるかもしれない。しかし彼女はたくさんの厳しい現実に直面しながらも、迷っていない。しっかりと自分が今どこにいるかを知っている。彼女が生まれ育った島が持つような、揺るぎない強さ。そんなことを彼女の姿から感じた。カアラの生き方は、自分の足下が見えなくなった時、しっかりとその場所を踏みしめることの大切を教えてくれる、そんな力を与えてくれた。
Sさんへ
カアラは約20の時を経て、素敵な女性になっていました。サンティアゴへ移り住んでも、今なお島のことを第一に考えています。彼女は5年前に子供を産んで、今は1人でシングルマザーとして子育てに励んでいます。Sさんのことを長年、facebookや、テレビ局を調べて探していたそうです。本当に見つけられて良かったと思いました。今の彼女の夢は、“Hirokoに会いに日本へ行く”ことだそうです。その第一歩のお手伝いが出来たことを大変嬉しく思います。