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アタカマで宿泊している“ホテル・テランタイ”のレセプションで働くゴンザレスは、部屋の鍵を預ける度に色んな話をしてくれる。今日は彼が大好きだと言う日本のゲイシャの話になった。ゴンザレスは、肌を露出しない女性の美しさが素晴らしいと言って、息を吐く暇もないほどに熱弁していた。お金が貯まったら是非京都へ行きたいと話していた。

 

今日は早朝4時にサンペドロを出発して、アントファガスタという地区へ行った。ここは世界で2番目に標高の高い間欠泉がある場所である。
ちなみに世界一は、先月訪れたボリビアにある標高
4800mのソル・デ・マニャーナである。アントファガスタにある、“エル・タイト間欠泉”は標高4300m。太陽が昇る前の気温はマイナス10℃。寒いのが好きな人間にはちょっとしたアトラクション感覚である。間欠泉が活動的になるのは冬の時期の今。広大な敷地に無数の間欠泉から煙が吹き出していた。
間欠泉の近くには必ずと言っていいほど温泉がある。多くのブラジル人達が気持ち良さそうに入浴していた。

 




午前8時、間欠泉を見ながら朝食を取り、マチュカ村へ向かった。途中、Rio Putana(プタナ川)を通過した時、黄色いくちばしを持つタグアという黒い鳥を見かけた。見た目はシックなのだが、思わず吹き出しそうになるほど音程がとれない鳴き方をしていた。


 




しばらく緑のオアシスの間を走ると、標高3900mにあるマチュカ村に着いた。バスに乗っていた何人かの人達は、高山病にかかりとても辛そうだった。
マチュカ村の家の屋根はコイロンという、高地に生息するビクーニャが主食としている草を使用している。屋根の上にはソーラーパネルと、カラフルな十字架が立ててあった。この辺りはアンデスのティワナク文明と、インカ、スペインからの影響が混ざった文化があり、この十字架は、カトリックとパチャママ
(大地の神)の信仰の二つを意味している。
路店では、リャマの肉のエンパナーダ(揚げ餃子)が売られていたが、食べる勇気はなかった。リャマの肉はコレステロールがなくとても健康に良いそうだ。

 

昼過ぎにサンペドロへ戻り、郵便局へ行って鳥取のおばあちゃんにハガキを出した。日本まで500ペソ(1ドル)。安すぎる気もするが、とにかく無事に着くことを願う。少し休んでから午後のツアーに参加するつもりだったが、結局博物館へ行ったり、教会へ行ったりしているうちに集合時間となってしまった。再びツアーバスへ乗り込み、Valle de la luna(月の谷)へ向かった。

 




赤茶けた岩々の間をバスが上下に激しく揺れながら進んだ。ビューポイントまで到着すると、目の前に茶色の巨大な砂の塊が現れた。ゴツゴツした岩場が永遠続くと思いきや、急に砂漠地帯へ来てしまったかのようだった。崖の上まで上がると、そこは見たこともない景色が広がっていた。
南米の自然はいつも想像の域を超えてくる。大人になると繰り返すことの方が圧倒的に多くなる生活に慣れてくるが、驚き続けることは大切なことだと思う。それはどこかへ行って特別なものを見ることでなくても、当たり前の日常の中に何か新しい発見をすることかもしれない。

 

チリへ入国してすぐイースター島、アタカマを訪れた。ここでは書ききれないほどたくさんのことを感じたが、感心したのはチリの施設設備などの良さである。ボリビアではほとんどの観光地にトイレはなく、岩陰を探してはそこで用を足していた。慣れれば何の問題もなく快適だが、チリの観光地では必ずと言っていいほどトイレなどの設備を見かけた。ツアーや現地の人なども時間にはとても正確だった。
つい最近まで観光のツアーはスペイン語しかやっていなかったそうだが、経済危機を境に外国人観光客を増やすため、英語のガイドを導入したという。今回このツアーを担当してくれたガイドのミゲルさんは、
『あなた達外国人のお陰で、私たちが住むチリという国の経済を保つことが出来ます。本当に来てくれてありがとうございます』と最後に付け加えた。チリの人達が持つ真面目さと向上心が、“
チリ・モデルという言葉がある通り、ラテンアメリカの人々にとって目指すべき政治・経済のモデル国を作り上げているのだろう。




ERIKO