2日の早朝にイースター島からサンティアゴへ戻り、そのままカラマというチリの北の方にある都市へ入った。飛行機の窓から見たカラマの町は、どこまでも続く砂漠地帯で、夕焼けでオレンジ色に染まっていた。
到着してから車で1時間、San Pedro de Atacama(サンペドロ・デ・アタカマ)へ向かった。さすがチリ、道路は完璧に整備されていてほとんど揺れることもなかった。サンペドロはボリビアの村を思い出させる小さな町だ。石を積み上げた建物が立ち並び、砂埃が宙を舞っていた。
着いたとたん懐かしい気持ちと、誰もが親切に道を案内してくれる心優しさに、すぐにこの町が好きになった。ホテルは白を基調にしたかわいらしい内装で、ベッドもふかふかだった。石けんも付いていて、久しぶりに高級ホテルに来たような気分である。
連日の移動の疲れからか、唇にヘルペスが出来てしまったので、薬局に行ってAciclovirという薬を買った。こうしてアタカマ1日目の夜は更けて行った。
アタカマ2日目は、湖と村を回ることにした。初めに向かったのはトコナオ村。白壁の家が建ち並ぶとても綺麗な村だった。村の中心の教会まで行くと、何人かの村人が立ち話をしていた。写真を撮らせてもらうよう頼むと、心よくOKして、遠い日本から訪れた私を歓迎してくれた。
彼らは村のオススメの場所も教えてくれた。行ってみると、そこはValle de Jereという岩の谷だった。見渡す限り岩だらけだが、昔人が住んでいた住居跡もあり、奥へ進んだ所には一本の川が流れていた。冒険映画に出て来そうな風景である。
ここで取れる石は温度変化に強く、高価なものらしい。確かにこのような極度に乾燥し、気温の高低が激しい土地にある岩は特別なのかもしれない。
次に向かったのはLaguna Chaxa(ラグーナ・チャハ)と言う塩湖。ここではフラミンゴも見ることが出来た。湖の周りは塩の塊で出来た石で埋め尽くされていて、硫黄の臭いがした。この辺りにある活火山は、チリ国内で一番活動的に動いている火山として有名である。一番最近の噴火は1993年、その影響はアルゼンチンやブラジルにまで及んだと言う。
昼食を取るため、Socaire(ソカイレ)村へ立ち寄った。すでに何台かのツアーバスが停まっていて、みんな同じレストランで食事をしていた。
レストランから出て来た観光客に聞くと、なかなか美味しいと言うので、私もそこに入ってみることにした。
テーブルに座るとメニューはなく、しばらくするとオレンジジュースとキッシュが運ばれてきた。メインは鶏肉とキヌア(粟)だった。
私は南米へ来てから初めてキヌアの存在を知ったのだが、一度食べて虜になってしまっている。村の散策をしていて気づいたのだが、この村にはすべての家の屋根にソーラーパネルが付いている。これだけ太陽の光が強ければ電気に困らないだろう。真っ昼間から、煌々と街頭の灯りまで付いていた。
アタカマの人達はアンデスのインディヘナに似ていて色も黒いのだが、ボリビアのアンデスに住む人達とは少し顔つきが違う。性格はとても社交的で大変親しみが持ちやすい。アタカメニャス(アタカマの人)のスペイン語はサンティアゴの人達が話す、早口で語尾が短いものではなく、クセのない聞き取りやすい話し方である。ここで話されている言葉は、Cunza(クンサ)と言われている。サンティアゴに着いた初日、彼らの話すスペイン語はこれまで聞いた中で一番聞き取りにくく、ほとんど何を言っているのか分からなかった。アタカマの人達はサンティアゴに住む人達を、
“Habla rapido,Come rapido,Trabaja rapido”(話すのも、食べるのも、働くのも早い)と言っていた。
もう少し村に長く滞在したかったが、時間が迫っていたので最後の目的地へ移動した。
"Laguna Minscanti" 標高4000m
標高4000mにあるLaguna Minscanti(ラグーナ・ミンスカティ)。6000m級の山がそびえ立つ麓に、堂々と真っ青な湖が現れた。ボリビアでも大迫力の湖はたくさん見てきたが、ここまで青いのは初めてだった。
"Laguna Miniques"
帰りは太陽が大地へ沈んでいくのを眺めながらサンペドロへ戻った。山に太陽が沈み、オレンジ色の光をバックにどこまでも繋がる山々が黒いシルエットをつくった。その反対の空には、こらから満月を迎えようとする月が白く輝き、一番星が見えた。美しい自然は、美しい心を生み出してくれる、その美しい心が、素晴らしい文化や伝統を作り上げるのだろう。