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今日で日本を出てからようやく1ヶ月が経った。日本は今ちょうどゴールデンウィークではないか。ここラパヌイでも何人かの日本人観光客を見かけた。
ラパヌイ最終日の今日は、チリでステイしている家族のジェニーが紹介してくれた、レベッカさんという方に会って、人探しと島の案内をしてもらう予定だった。しかし約束の時間を30分過ぎてもいっこうに来る気配がない。
電話をかけてみると、今日は家族の用事で忙しいと電話を切られてしまった。さっそく頼りにしていたラインが一つなくなってしまった。
このイースター島でのミッションは、ある女性テレビプロデューサー、Sさんからのものだ。彼女は今から20年前に、この島のAHU TONGARIKIにある、15体のモアイを修復する日本人のドキュメンタリー番組の取材で、村に住むアレハンドロさんという夫婦の家に1ヶ月間滞在していた。
彼らには2人の娘がいて、その当時まだ小さかった彼女達が今はどうしているのか、お世話になった家族の人達は元気にしているのかを知ることが出来たら嬉しいと話してくれた。Sさんは、子供と時の楽しかった記憶を思い出すかのような表情を浮かべていた。
一通り話終えた後、いつものきりりとした表情に戻り、
『でも20年前のことだし、旅するだけでも大変だから、もし気が向いて時間に余裕があったらで大丈夫です』と控えめに付け加えた。
私は彼女が島の家族とのことを今でも大切に心にしまっていて、内心とても楽しみにしてくれているのを感じた。
レベッカさん経由での捜索が難しくなってしまったので、チリの家族、ジェニーがかつて働いていた病院へ、彼女の知り合いを訪ねて行った。
病院の前に着くと、なんと祭日のため入り口が閉まっていた。このまま引き返すとすべてが終わってしまう。救急車の入る緊急患者専用扉を見つけて中へ入った。診察室の前には、何人かの患者らしき人が座っていた。病院は少し重たい空気が流れていて、来てはいけない所へ来てしまったような気分になった。奥の方まで進むと一人の若い医師を見つけた。彼にジェニーの知り合いのドクター・ホルヘを探していると言うと、今日は休みでここにはいないので家へ行ってみるといいと彼の家の地図を書いてくれた。
彼の家は病院からすぐの所だった。呼び鈴は壊れていて、ドアを2回ノックすると小学生くらいの女の子が2人出てきた。後ろから小麦色の肌をしたお母さんらしき人が現れて、それがドクター・ホルヘの奥さんだった。用件を話すと、彼は今サンティアゴに行っていていないと言われた。探している家族の写真を見せたが、『見たことある気がするけど、知らないわ』と答えた。
これで終わりかと思ったが、彼女の勧めもあり、もう一度病院に行って聞いてみることにした。
『彼女は今ANAKENAというビーチの休憩所で働いているわ』
お礼を言って外で島の地図を確認すると、そこは昨日行った所だった。さらにはそこの休憩所を利用した際、トイレの使用料の500ペソを管理人の女性に渡している。もしかすると、私の探している女性は昨日すでに会っていた人なのかもしれない。私は再びANAKENAビーチへ向かった。
ERIKO