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 太陽が昇る前に、島の東AHU TONGARIKIへ向かった。島の道はきれいに舗装されていた。この海辺に堂々と立つ15体のモアイ像は17世紀に部族の争いで倒され、その後の19605月に起きた地震による津波で押し流されてしまった。そのモアイを修復するべく、199210月、日本・モアイ修復委員会とチリ共和国の政府よって発掘と修復が始まり、4年後の199615体のモアイの修復が完了した。

古代の人々が馬鹿でかいモアイをどのようにして運んだのかは未だに謎だが、地元の人達は個人個人がモアイに対してのそれぞれの推理を持っていると言う。赤、紫、ピンクがまだらに染まる朝焼けが
15体のモアイの背中を照らした。モアイがいるから余計にそう思うのかもしれないが、いるだけで不思議な気分になる島である。

太陽が昇ってからホテルへ戻り朝食を食べた。パンとチーズとハムにフルーツ、なかなか美味しかった。私の隣の席にはフランクという海軍のフランス人が座っていた。彼は現在タヒチに住んでいて、
1週間バケーションでこのホテルに滞在しているようだった。
ラパヌイに来る観光客で一番多いのはフランス人である。きっと昔タヒチなどがフランス領だったことから、頻繁にフランス人の探検家や宣教師たちが島へ来ていたことも理由の一つだろう。

 



午後はモアイが製造されていた山へ向かった。熊本の阿蘇を連想させるような黄緑の丘が周囲に点々としていた。この山には島全体にある約600体のモアイのうちの半分以上がある。どれも状態が良かった。
山の頂上付近にモアイが作られていた場所があった。山の岩を削り、モアイを型取っている途中、突然何かが起こり作業が止まったような状態のものがそのまま横たわっていた。周囲を見渡すと、完成間際のモアイや、これから作ろうとしているものなどがたくさんあった。
まるで映画のチャーリーとチョコレート工場のようなファンタジーの世界の古代巨大版である。この何トンもあるモアイをここで製造し、何十キロも先の場所に運んだと想像するとため息が出そうになる。どう考えてもどのように作業をしていたのかを推測出来なかった。
これまでにも迫力のある自然の産物や遺跡を見てきたが、いればいるほど不思議な気持ちを起こさせる場所というのは生まれて初めてだ。

島をぐるっと周り、ホテルへ戻る車の中で天気雨が降った。ちょうど車を降りると目の前には大きな虹が2本かかっていた。

明日はチリの家族が紹介してくれた、島に住んでいるレベッカさんと会って、私の知人が20年前にお世話になったアレハンドロ夫妻を探しに出かける。

この不思議の島で20年越しの奇跡は起こるのだろうか。    

ERIKO