今日で日本を出て26日目、ボリビア最終日を迎える日が来た。まだ旅が始まって1ヶ月も経たないのに、随分長い間ボリビアにいるような気がする。

ボリビアという国に滞在して感じたのは、自然環境というものが人間の気質や文化に様々な影響を与えていということである。

またボリビアは、憲法上の首都は司法のあるスクレ、事実上の首都は立法、行政のあるラパスとなっており、ビジネスの中心になっているのはサンタクルスという特殊な国でもある。

 

ラパスはアンデス山脈に囲まれ標高も高く、町ではたくさんのインディヘナ(先住民族)が暮らし、山から生まれた独自の信仰が今も色濃く残っていた。

ラパスの人達との生活で感じたのは、彼らに欲がないこと。
現在身の回りにあるものに満足し、幸せに暮らしている印象が強かった。

反対にサンタクルスは南国といったイメージを湧かせる土地で、白人が圧倒的に多い。ここの太陽のように、人は明るくとてもフレンドリーである。
話し口調も早口で、ここではVoseoVosで話す話し方)が主流となっている。

ラパスと違うのは、サンタクルスの人々は向上心が強いこと。新しいもの好きで、今をより良くしたいという気持ちが強い。

“人生良いことはなんでも全部やってみる”サンタクルスでよく聞いたこの言葉は、カンバの人の気質をよく表している。最近、ラパスの裕福なインディヘナの人達の多くは新たなビジネスチャンスを求めて、サンタクルスへ移住しているという話も聞いた。

しかしサンタクルスだけがビジネスの中心かと思えば、“アポロが月へ行ったらコチャバンビーノが商売をしていた”というギャグが存在するほど、コチャバンバの人も商売人だと言われている。

 

私が受けたボリビアの印象は、これだけの多民族がいる中で、お互いが自分とは違う人種を受け入れ合って生活しており、自然環境の影響を受けながら人々がそれぞれの地域で特有の特徴を持ち合わせているということ。

一言でボリビアを言い表す適当な言葉は思いつかないが、政治的には激動の時代といえども、人々はのんびりとした幸せな生活を送っていることには違いない。

 

今日でロレーナ家をあとにすることになる。
『すべての辛い経験は全部強くなるためだからね!』
トモエお母さんが、私がこの家に滞在している間一番多く言った言葉だ。

私が一番印象に残っているトモエお母さんの話を紹介させてもらう。
まだトモエお母さんが東京の鎌田の工場へ出稼ぎに出ている頃のこと。
職場の人達からは外国人だとうことで野蛮な扱いを受け、近所の人からも避けられて気持ちが滅入っていた時、ちょうど彼女はお腹に8ヶ月の息子を妊娠していた。

ある日会社から家へ帰る途中の電車の乗り換えの階段で、運悪く人の波に押されて転んでしまった。
大きなお腹を抱えてしばらく立ち上がれなかった。ただ起き上がれなかったのではなくて、彼女を取り巻いていた現状もすべてが一緒に転げてしまったようで、すぐには立ち上がれなかったと話した。
しかしどれだけ時間が経っても、誰一人として手を差し伸べなかった。

もう、立ち上がれない。心も体もそう感じたと言っていた。
しかし、彼女から次に出た言葉はこうだった。

“今はこの出来事に大変感謝している”

『誰も助けてくれなかったからこそ、自分で立ち上がらなきゃと思ってその時決意したの。立ち上がる勇気と言うか、決意を与えてくれた。
それをこの人生何度となく繰り返し、気づいたら人の気持ちが分かる心と、ちょっとのことではめげない強さを手に入れることが出来たわ。
だから辛いことや困難は、ありがたいことよ。その時は分からないときもあるけどね!』

トモエお母さんにはどんなこともプラスに変えてしまうような底抜けの明るさがある。この話を笑いながら話す彼女を私は本当の意味で強い人だと思った。

先ほど、先日会った平良さんの印刷会社へ頼んでいた名刺を取りに行った。作業着に身を包んだ平良さんは私との再会を喜んでくれ、2人の娘さんを紹介してくれた。しばらく話をしたあと、会社の入り口で別れを告げ、冷たい雨が降る中、私の姿が見えなくなるまで手を降り続けてくれた。

明日は早朝の便で2国目のチリに入る。サンティアゴの家族から連絡があり、空港からタクシーに乗ってくるようにと、大体の金額を書いてくれていたが、チリのペソは桁が多い。1$484チリペソ・・・数字に弱い私は計算にため息が出そうになる。

明日にはもう違う国いるのか。いつもどこかへ行くときは気持ちだけついてこず、飛行機に体だけ運んでもらっている気がする。明日もきっとそうかな




Mil gracias...
ERIKO