サンタクルスでフォトグラファーをしている友達、フィオレラの仕事現場、エキペトロール教会で、倉橋輝信牧師を紹介してもらった。
教会の中で初めて見た倉橋さんは、白い牧師の衣装に身を包んで、子供達に笑顔で話しかけながら、ハーモニカを吹いていた。
私はこれまでにたくさんの教会を訪れたことがあるが、愉快にハーモニカを口にくわえている牧師さんを見たのは初めてである。
倉橋さんは突然の紹介にも関わらず、事務所に案内して下さり、お話する時間を作って下さった。
1980年、パードレ倉橋は、ローマ・バチカンの霊性進学科コースで勉学に努めたあと、ボリビアにサレジオ会宣教師として派遣された。
それまでは日本のサルジオ目黒中学校で英語とブラスバンドの指導をしていたそうだ。
『私はボリビアに来れて本当に幸せなんです』
倉橋さんはいつ踊りだしてもおかしくないくらい楽しそうなエネルギーを発している方だった。事務所にはたくさんの感謝状が飾ってあった。
『これから結婚式があるんだけど、良かったら見ていかれますか?』
そう言うと倉橋さんは、また牧師の衣装をかぶり、祭壇に立った。
花嫁と花婿が入場し、誓いの言葉を交わし、パードレ倉橋はハーモニカを演奏した。約15分の式はあっという間に終わった。
『安い式ですよ。彼らは本当貧しいんです。しかしみんなそうかと思えば、ここで400万以上の式を上げる家族もいます。ボリビアは本当に貧富の差が激しい国なんです』
倉橋さんは教会を出て行く新郎新婦の家族を目で追いながら、ラジカセから流れる、メンデルスゾーンの結婚行進曲のカセットを止めた。
『ピアノの伴奏する人も、音楽のスイッチを入れる人もいませんからね。一人で何役もこなしてます。それが楽しいんですよ。お金がたくさんあったら、それは出来ませんからね』
確かに式の最中、音楽を鳴らしたり止めたり、せわしなく祭壇の上で動き回っていたが、終始楽しそうだった。
人と接するときは心を使う。便利であればあるほど、人と接触する機会は少なくなる。その回数が減ると、もちろん使わない心は錆び付いていく。
『私の人生で良かったのは、管理職に一度もつかなかったことです。
そのお陰で、直接人の相談にものれて、気がついたらとんでもない友情の輪が出来ていましたよ!』
倉橋さんは最後にいつも教会でお話している話をして下さった。
それは1989年に起こった2人の少年にまつわる出来事だった。
下記その2つの出来事である。
イギリスにシモン君という13才の男の子がいた。シモン君は白血病を煩い、長くても1年の命だと宣告されていた。近所の人達が、お見舞いにきてシモン君に何か欲しいものはないか聞くと、彼は『電動の芝刈り機が欲しい』と答えた。理由を尋ねると、彼のお父さんが毎日朝早くから夜遅くまで、カマを持って仕事に出かけ、クタクタになって帰ってくるから、少しでも楽になって欲しいからだという。近所の人達は、シモン君に電動芝刈り機をプレセントし、彼はそれをお父さんにプレゼントした。1年後シモン君は息を引き取ったが、彼の両親は彼が生まれてきたことを今でも宝物のように思っている。
もう一つは同じ年、アメリカのロサンゼルスで起こった事件だった。
夜TVを見ていた夫婦が暗殺された。警察が調べると、犯人は21才と19才の男の子で、彼らの息子だった。殺害した動機は親の保険金だったそうだ。
パードレ倉橋は、同じ心でも使い方によっては、夜空の美しい星のようにもなるし、恐ろしい凶器にもなると話してくれた。
『私たちは1日24時間の時間をみんなが持っています。そのうちの30分を人の為に使う。そうすれば受ける喜びと与える喜びを感じることが出来ますよ。
金持ちになるより美しい心を持つこと、これを私の人生すべてを使って伝えていきたいです。貧しさの中には本当の幸せがあります。』
パードレ倉橋は、また困ったことがあったらなんなりとお知らせ下さいと言い残して、祭壇の奥へ入っていった。
私は教会の出入り口から出てすぐ、彼の姿を探したが、もう見つけることが出来なかった。
ほんの数十分の面会だったが、パードレ倉橋との出会いは、私の記憶に美しい人に会った記憶として、深く刻みこまれるでしょう。
ERIKO