昨日は疲れていたのか夕食を食べ終えた後、21時には就寝した。

今朝は昨日ナトゥール(旅行会社)の人が教えてくれたオススメのレストランへ朝食を食べに行った。店内へ入るとお客のほとんどが日本人だった。

合わせて約10人前後いたが、話が聞こえて来る限りそれぞれに世界一周をしている人達のようだった。

10時30分にホステルへツアー会社の人が迎えに来てくれた。7人乗りのジープで今日から南へ下る。一緒に旅をするメンバーはオランダ人男性2人とイギリス人の男女2人とSURTREKの藤田さんと私の6人。

久しぶりに今日から数日間は英語を話すことになりそうだ。スペイン語を話すのは日本人の私たち2人。ガイド兼ドライバーのハイメさんはスペイン語しか話さないので、私たち2人がみんなへスペイン語から英語に通訳する。

まず初めに向かったのは、鉄道の墓場と呼ばれるところ。80年代、ポトシ銀山でとれるミネラルをウユニやチリまで運んでいた鉄道である。

この辺りの土地は塩分が多く含まれているため、錆びやすく、鉄道は見事に茶色に変色していた。塩の混ざった土は光に反射してキラキラと光っていた。


その後、近くのコルチャニ村へ移動し、塩の生成を見せてもらった。水分を含んだ塩を火に通して水気を飛ばし、袋詰めにする。この全ての行程は手作業で行われている。

ウユニで取れる塩はボリビア全土へ行き渡る。なんと塩の値段は50kgで14ボリビアーノ。この商売を独占化して価格をあげようとしないのは、“足るを知る”ボリビア人らしいビジネスの仕方なのかもしれない。

少し小腹が空き始めたころ、ウユニ塩湖へ向かった。数日前に雨が降ったお陰で塩湖に水が張っていた。どこまでも白い湖に、水に映ったボリビアの真っ青な青空が、見る者を絶景と言わせる。

この世界最大の塩湖も昔はチチカカ湖やポポ湖のように、深さのあったミンチン湖と呼ばれる湖が乾涸びて塩湖になったそうだ。塩は厚い所で約8mもあり、その下には地下水が通っている。何千年という地球の命のサイクルの中で、今自分が立っているこの場所が、何千年か後にはどうなっているのかと想像した。

そしてこの近くで生活を営む人々は、環境の変化と共に彼らの文化はどう変わっていくのだろう。

午後15時、今日の宿泊先であるアロータ村へ向かう。移動中走っている車の後輪が交互に2回パンクした。予備のタイヤを付け替えて10分後に出発。ドライバー、ハイメさんの対応はこなれたものである。

宿は土壁で出来た小屋。夕食は温かい野菜のスープ、フライドポテトとソーセージを炒めた料理だった。ベッドは薄い毛布が一枚。藤田さんが用意してくれた寝袋をベッドに設置した。

わずか半月前まで便利で快適な日本にいたことがなんだか遠い昔のように懐かしく感じた。完璧というのに近い暮らしの中で、少しでも不都合なことがあれば何かのせいにしやすい自分と暮らしていた。

 

ふと頭上を見上げると天の川が流れていた。上だけではない。自分の目線と同じ真横にまで星が輝いている。

星空を見たとき心が満たされ、一人ではないことを感じるのは私だけではないだろう。宇宙は私たちと常に繋がっていたのだと感じられる。
人は目に見えない何かの繋がりを求めて夜の中に星を探すのかもしれない。私が半月前まで住んでいた、なに不自由ない東京の町の夜空はあまりにも明るすぎて星達が遠慮がちだった。
    





ERIKO