今日の朝、この間訪問したドロンズさんがお世話になった“コメドール・カリスト”の施設へお手伝いに行った。早朝家を出かけようとした時、財布の中にボリビアーノ(現地の貨幣)がないことに気づき、慌てて家族に30ボリビアーノ(約400円弱)を借りた。
朝のトゥルフィ(乗り合いタクシー)は町へ出勤する人達で混んでいて、窓ガラスに張り付きながら移動した。
車を降りて、バックから住所が書いてある紙を探したが家に置いてきたらしく、結局道行く人達に聞きながらようやく辿り着いた。
クリスティーナさんは私の顔を見るなり、抱きついて喜んでくれた。キッチンで働くおばさんたちも『よく来てくれた』と言って歓迎したくれた。
さっそく、さやえんどうの皮むきを頼まれて、樽いっぱいに入ったそれをひたすら剥いた。1時間くらいたった所で、この施設で働いているドクターがやってきた。彼女は日本に友達がいるらしくその人の話を始めた。
どうやらその人は“セキジ”という名前の男性で、自転車で世界一周をしているという。私も出発前に何人か自転車で世界をまわっている人の名前を聞いたが、その人達ではなさそうだった。
しばらくして少し離れたレストランまで野菜を取りに行ってきて欲しいと頼まれた。バスを乗り継いで、ベジタリアンレストランへ向かった。
ここのレストランを経営しているのは、リヒテンシュタインから移住したおじさんだ。ボリビアの人はビックリするほど野菜を食べないので、ベジタリアンのレストランがあることに驚いた。
2階のオフィスにはインドのシバ神の写真が貼ってあり、インドのお香の香りがした。
私は東京に住んでいる時、週2回インド聖典の勉強に通っていたので、この香りで倉庫で勉強した日々を思いだした。そんなに前のことではないはずなのに、随分と昔のことのように感じる。
布袋に入った大量の野菜を担いで施設に戻ると、すでに食事の時間が始まっていた。たくさんの家のない貧しい人達が施設へ入ってくる。
広い食堂が一気に賑やかになった。
食堂で手伝いをしていると、ある一人の女性が私の所までやってきて罵声を飛ばした。
『お前は殺されるんだ!』などと叫んでいる。私が外国人だからだろうか。
叫んでいる彼女は靴を片方しか履いていない。
それと同時にキッチンの女性が『気にしないで、エリコ。大丈夫よ』と声をかけてくれた。罵声を飛ばしてくれた女性のお陰で、私はキッチンのおばさんたちとさらに仲良くなれた。
悪そうに見えることには、必ずもっと良いことが隠れている。私はそれを探すのが好きだし、見つけた時には嫌なことはもうとっくに去ってしまっている。
スペイン語にこんな諺がある。
“No hay mal por bien que no venga”
(悪いことは良いことのためにしか起こらない)
アルゼンチンで出会ったこの言葉に何度となく救われている。
みんなの食事が終わり、私が帰ろうとすると、クリスティーナさんは、『今度はいつ来るんだ?』と帰り際とても寂しそうにしていた。
帰り道は、ストライキで道が封鎖していたためしばらく歩いた。
店の窓ガラスに映る私のほっぺは、ここに暮らす人達のように少し黒く日焼けしていた。同じ太陽の下で、私もすっかりラパスの顔になっている。
先ほどたまっていた洗濯を終えた。明日はラパス最終日、家族のお父さんと昼食に出かける予定。