ドロンズさんのお世話になった施設を探すこと二日目、昨晩夜遅くまで動画を繰り返しチェックし、昨日とは違うエリアにある施設を当たってみることにした。“Comedor Popular San Calixto”という施設で、息子のアンドレスが一時期手伝いをしに通っていた場所でもある。

 

いつもの乗り合いタクシーで向かう。もう何度も乗っているが、気づけばいつも私は後部座席の左側に座っている。ラパス市内へ向かう景色は何度見ても飽きることはない。

 

施設の前に着いた。さっきまで土砂降りだった雨は、私たちが外へ出ると不思議とピタッと止んだ。

施設の看板はとても立派で、まるで日用品でも売っていそうな門構えだった。

『本当にここなのだろうか?昨日のように今日もまた探し回ることになるのだろうか?』

 

中へ入ると太陽の光でいっぱいに満たされた食堂があった。奥のキッチンに目をやると、白衣を来たおばちゃんが3人働いていた。

朝食が終わった後らしく、みんなあと片付けをしていた。

 

キッチンの奥に目をやると後ろ向きで立っている、巻き髪の女性を見つけた。

クリスティーナさんだとすぐ分かった。私は嬉しさのあまり、自己紹介も半ば彼女に抱きついた。

『何年か前に日本人2人がここへ来たのを覚えていますか?』


クリスティーナさんは、興奮気味に話し出した。


『もちろん、ここにいる人達は、1日だってみんな彼らのことを忘れたことはないわ。』


彼女は満タンに貯まったダムの水が、一気に流れ出したかのように話を続けた。


『彼らは本当に良く働く子達でね、食事の準備から、壁の掃除まで何でもよくやってくれたわ。』

まるで彼らが昨日までいたかのように働きぶりを賞賛すると、私の手を引いて冷蔵庫の前まで連れて行った。ここからがドラマの始まりだった。


『このマーク見てちょうだい。』


冷蔵庫の正面には青と赤で書かれた手で何かを支え合うマークとその下に黒い字で
”Japón”(日本)と書いてあるステッカーらしきものがプリントされていた。


『あの子たちがここを出た3年後に、日本の大使館が寄付をしてくれたの。

この冷蔵庫も、イスも机も全部。新しくて立派なものをたくさん届けてくれたのよ。彼らがここに来てくれたお陰でね。』


クリスティーナさんは杖をつきながら足早に、事務所へ私たちを案内してくれた。


中へ通されると対面のソファーがあり、机の下からボーダーコリー犬がちょこんと鼻を突き出して、我々の様子をうかがっていた。ラジオからはレゲトンの音楽が派手にかかっていた。


クリスティーナさんは施設へ寄付をしてくれた当時の日本の大使である、タテヤマミチスケさんという方の写真と、この交流をきっかけに山口へ留学した生徒からの手紙を読ませてくれた。


『ところであなたは何をしているの?』


ようやくお互いに少し興奮が冷めて、本当であれば初めに聞くべき質問を投げかけあった。私が自分の旅の主旨を説明すると、『あなたは大使なのね!』と言って何度も何度も、私の突然の来訪に感謝してくれた。


そのあとも日本から寄付された歯科治療器具や、酸素ボンベ、テレビや机を見せてくれた。



最後施設を出る前にクリスティーナさんに大切にしている言葉を教えてもらった。



Amistad Solidalidad y Amor
        絆 連携 愛

言葉は発する人によって全く異なる性質を持つことを改めて感じさせられた。

クリスティーナさんの言葉は、一つ一つに意味の重さを感じた。


『旅が終わったら手紙を書いてちょうだい。あと彼らに、いつでも私たちの心の中にいることと、本当にありがとうと伝えるのを忘れないでね。本当に探してくれてありがとう。あなたの人生はずっと神様が守って下さるわ。』



クリスティーナさんはそう言うと眼鏡を外してハンカチで目を拭いた。

 

大島さんが16年前、人の温かさに触れ、溢れ出る涙を止められなかった同じ坂道で、素晴らしい人に会えた幸せと感動で、私も自然と涙が溢れた。


ドロンズさんがこの施設に滞在したのはたった2日。



このたった2日で、彼らがいなくなったあとにも彼らの残した足跡はしっかりと残り、のちに施設が変わり、いま私の人生までも豊かにしてくれた。


一瞬一瞬を一生懸命生きることは、人類を変えることかもしれない。
 

 

 

 

 

 

 



ERIKO