旅へ出発する当日、羽田から成田空港へ向かう車内で、ドロンズの大島さんからメールが届いた。内容は以前、電波少年という番組でボリビアをヒッチハイク中、教会のミサに参加した時、荷物を全て盗まれてしまい、そこの教会の方に助けてもらったことがあり、是非お礼を伝えたいというものだった。
—大島さんからのメールー
教会でミサに参加している時に僕の荷物を盗まれてしまい、
そこの教会の人に助けて貰いました。
教会の名前は分かりませんが、泊めて頂いた所が、
恵まれない人達の世話をする施設『CASA DE POVURE』と言い、
お手伝いをさせて頂き、最後にはそこの人達にカンパ金を頂いて、
リュックと寝袋を買う事が出来ました。
教会の人は、クリスティーナさんと言うおばさまだった。
いつかは、ここに御礼を言いに行きたいと思っています。
しかし、場所を見つけるための手がかりは、教会と併設している施設であることと、その施設の責任者がクリスティーナさんという名前の女性であること、そして電波少年で放送された動画だけだった。
通りや教会の名前も分からない。市内には、数えきれないほどたくさんの教会と貧しい人達のための施設がある。
大島さんが送ってくれたyoutubeの動画を見て、何としてもクリスティーナさんに会いに言って、代わりにお礼を言いたいと思った。
ドロンズ南北アメリカ縦断ヒッチハイクの旅
ラパスに着いて3日目、高山病の症状もすっかりなくなり、万全の体調で息子のアンドレスと2人で教会を探しに出かけた。動画の映像を手がかりに、乗り合いタクシーで、それらしき似たような教会の見える場所まで来ることが出来た。
中心街と比べると少し雰囲気が暗く、歩いている人達も貧困な人達が目立った。
教会の前まで来ると、重そうな木の扉は閉まっていて中へ入ることは出来なかった。私たちは違う教会を探しに歩き出した。
2つ目に訪れた教会は、まさに映像で見た場所と同じ所だった。
私たちが教会へ入るとちょうどミサが終わり、牧師さんにクリスティーナさんという人を捜していることを話した。だが牧師さんはそのような女性はここにいないというだけで、手がかりは何も掴めなかった。
この教会には施設らしき場所は併設されておらず、一瞬心に灯った光は、みるみるうちに小さくなっていった。
『もう16年も前のことだから辞めてしまっているかもしれない。』
その後も、施設を探しに4箇所ほどあたってみたが、該当する所はどこにもなかった。
強い日差しが体力を奪っていき、この日は家に帰ってもう一度動画を見直すことにした。
アンドレスは隣で『街の隅々まで知ることが出来て良かったね!』と、疲れを見せずにそう言った。本当はアンドレスの方が私の何倍も大変なのに。
私は繰り返し彼に感謝を伝えた。
今日私は生まれて初めて、これまでたくさん話に聞いていた、恵まれない人達の施設に入った。自分で望んで行かない限り見ることのなかった場所だ。
そこは静かで、温かい空気が流れていた。大島さんが知る機会を与えてくれたのだ。
知らない世界を知ろうとすることの大切さを教わった。