今年の3月が始まったばかりの頃、私は協力してくれている知り合いの方を通じて、永田町にあるお役所のお役人さんを訪ねた。


普段滅多に接することない建物とそこで働く人々。
私はお会いして下さる方に失礼がないよう、前日から自分のプロジェクトの書類や質問事項等をまとめていた。

通された部屋に入ってきた男性Aさんは背が高く色白で、丁寧に自己紹介をしてくれた。私の旅の行程を聞いたあとで、続けて中南米の治安等についての説明を始めてくれた。時折冗談めいた話を加えてくれ、私のお役人のイメージが一気に変わった。


Aさんは15年程前にボリビアのラパスで勤務していた。
その時の体験や歴史的背景を踏まえて、中南米の事情についてこと細かく教えてくれた。
私がAさんに対してとても良い印象を持ったのはそれだけではない。
面談させて頂いたおよそ1時間半、実際起こったことは事実として、その他に何一つとして中南米に関する悪い見方を述べなかった。
そして、私のプロジェクトに心から共感してくれているのが伝わってきた。


後日、私の家のポストに手紙が届いていた。
繊細な文字の感じから女性からかと思ったが、Aさんからだった。
開けてみると1枚の絵はがきとメッセージが添えてあった。絵はがきはAさんが描いたものだった。
雪の降る道路に一台の車が向かって走っている、自宅の窓から見た景色だろうか。どこかヨーロッパにありそうな風景だった。
私はこの絵はがきが、彼の本当の名刺であろうと思った。なぜなら肩書きの書いてある立派な名刺より、絵はがきのほうがAさんのことが良く分かったからだ。


私は改めてAさんに、『ボリビアで何かしてきて欲しいことはないでしょうか?』と伺った。

するとAさんは、『当時住んでいたラパスのマンションの下に孤児院があったんです。そこがまだあるかどうか見て来てもらえますか?』
と私に言った。

駐在から何年もの月日を経て、彼が一番気にしていることが、孤児院の子供達であるという部分が、私が大切にしているある部分と重なった気がして嬉しかった。

『ラパスにいた頃、週末にマンションの寝室で朝寝から一人目を覚ましたときに、目の前の大窓の真っ青な空に溶け込んでいくような子供たちの歓声が、今でも耳に残っているんです。もう15年も前のことですから、あの庭で歓声を上げていた子供達も今では立派な大人になっていますね。
もしかしたら、ボリビアという国が豊かになり、孤児院が役目を終えてなくなっているのであれば、それはそれでよいことなのかもしれません。』


Aさんは帰り際に、戦争中のイラクに駐在していた経験をまとめた貴重なレポートをプレゼントしてくれた。
帰りの小田急線の中でファイルを取り出し読もうとしたが、途中涙が止まらなくなって、最後まで読めなかった。
レポートに書いてあったのは、平和というものの意味について。
そしてイラクに駐在中一歩も外へ出れなかったときに、心の助けになってくれた、大使館で働くイラクの人たちの素晴らしさが事細かく記してあった。
約10ページに及ぶレポートの最後には、”また行きたいと思う。”と書いてあった。


今日Aさんか住んでいたであろうラパス市内のマンションを見に行った。


Aさんへ

Aさんか毎日見ていたであろう孤児院は今もまだありました、立派な門構えでした。
当時Aさんが聞いていたような子供達の歓声を聞くことは出来ませんでしたが、ラパスの真っ青な空は、今でも変わらずにここにあります。
初めて行く場所なのに、私の目には特別なものに映りました。ありがとうございました。


4月3日  ERIKO