3月11日私の旅のプロジェクトの協力団体でもあるミタイ基金のチャリティーイベントへ参加した。
ミタイとは現地の言葉のグアラニー語で子供という意味。
ミタイ基金は1995年よりパラグアイの農村部の貧困地区で生きる子供たちに支援を行っている団体である。
代表である藤掛洋子さんは、私がたった一人で始めたこのプロジェクトの相談に、『素晴らしいわ!是非やりましょう!』とふたつ返事で協力を決めてくれた、貴重な協力者の一人である。
初めてお会いしたときは、ピンクがとても似合う可愛らしい女性で、彼女の見かけからは、こんな大がかりなことをしているような方には到底見えなかった。
今回のイベントではミタイの活動報告と、岩手県山田町立織笠小学校の村上貴美子先生による、3.11のお話があった。
代表である藤掛洋子さんは、私がたった一人で始めたこのプロジェクトの相談に、『素晴らしいわ!是非やりましょう!』とふたつ返事で協力を決めてくれた、貴重な協力者の一人である。
初めてお会いしたときは、ピンクがとても似合う可愛らしい女性で、彼女の見かけからは、こんな大がかりなことをしているような方には到底見えなかった。
今回のイベントではミタイの活動報告と、岩手県山田町立織笠小学校の村上貴美子先生による、3.11のお話があった。
村上先生のお話のなかでも印象的だっのは、避難所で物資が足りない中で届いた、パラグアイのお豆腐の話だ。
パッケージには、「心はひとつ パラグアイ国民は日本を応援します」と書かれており、村上先生もこのときに初めてパラグアイの存在を知ったそと話していた。
このお豆腐はブラジルとの国境近く、イグアスという場所の日系社会で生活する、福井さんという方の所で作られたもので、これまでに100万丁も送られているという。
パラグアイへ行ったら、是非福井さんにお会いしたいと思う。
今回の震災で、日本はたくさんの国から助けをもらっている。
もちろん今回だけでなく、日本は戦後から国を建て直す際にも多大な援助を受けながら、発展した国へと成長した。
そして何より、日本人というだけで親切に受け入れてくれる場所では、それぞれの国で過酷な土地を開拓し貢献した日系人の方達の存在がある。
彼らのお陰で私たちはただ日本人というだけで、温かな歓迎を受けることができる。
このプロジェクト初めてから知った日系人の存在や過去の歴史。
旅で訪れる国々では、返礼とたくさんの感謝で心と心を繋げたらと思う。
ERIKO
ERIKO