時々

『こうしてくれない、あ~してくれない』

という人を見かけるけど

 

そういえば私もそうだった!

メチャクチャ愚痴をいっていたし

不平不満だらけだったし

 

という時期を経て

 

それを振り返りつつ

今の自分から客観的に見たその状況と

 

そもそも自分に足りていなかったこと

と合わせて

今の変化した後の自分の捉え方とともに

綴ってみようと思う♡

 

 

まず、

大前提の大原則として!!!

 

 

 

自分のニーズは満たされてしかるべき

 

だ!!!!真顔キラキラ

 

あなたのニーズに価値がない

のでもなく

そのニーズは我慢すべきでもなく

ないがしろにされるべきでもない。

 

そのニーズを持つことは『善』だ♡

 

そのニーズに、

仮に他者に答えてもらえなかったとして

 

それは

ただ単に、相手はそのニーズに

応えるリソースを持っていない

だけのこと。

 

超シンプルにそれだけのことだ。

 

または

『そのニーズに応えてあげたい』

という気がないだけ

 

その場合も同様

相手がリソースをもっていないのだ。

 

 

ここでこじらせ女子はこうなるw

 

『わたしの想いに応えてくれない

応えようという気持ちがないということは

相手にとって私の存在価値ってそんなものだ

ということだ!!!えーんえーんえーんひどい!大泣き!』

 

まーまー気持ちは分かるし

そうだった自分もかつていた。

 

 

でもさ・・・w

 

 

『相手がそのニーズに応えるか否か』

に、自分の価値基準を置く

 

って、

どーーーーよ???

どうなのよ、

それ。?

 

相手にとってそのニーズに応えるほどの

気持ちがないと、例え仮にそうだとしても

 

『だからなんだっての?』という話で。

 

だから、自分には価値がない

と、なぜ紐づけるんだ???

 

それは

 

『自分の価値の有無を

相手の一挙手一投足に丸投げする』

という、

無意識の選択を自分がしている

からに他ならない。

 

 

このブログでも何度も言うけど

 

『目を覚ませ』w

 

女性の価値とは、

そんな微々たるもんじゃない。w

目を覚ましてくれ。w

 

 

話を戻します。

ニーズに、要求に答えるか否か

 

 

相手には

その要求に答えるか否か

を決める自由と権限がある。

 

自分が相手に対してできることというのは

『○○を求めているのだけど

応えてもらえませんか?』

 

きくこと、お願いすること ASK

することのみ!!!

 

ここを見落とす人が多いのではないかと思う。

 

それを見落として

『こうしてほしいのにしてくれない』

『あ~してほしいのに応えてくれない』

と迫るのは

 

それはもはや

きく、お願いする

ではなく

 

コントロール・支配

ということになってくる。

 

相手の領域、自由に敬意なく

ずかずかと踏み込んで

侵攻・侵略・占領・支配

試みていることに他ならない。

 

そうでもしなきゃ

『自分の中の何かが否定される・崩れてしまう』

という恐れを抱いているのが

深層心理なのですが・・・

 

 

再度にはなるけど

何かを求めることは決して問題ないし

ニーズがあることは良いことであり

それは満たされてしかるべきもの!

 

 

ただ~~~し!!!!

それにこたえるか否かの

自由と決定権は、

全て 相手に ある!

 

 

そして!!!!

自分自身にも

そのニーズを満たす自由がある

 

 

こう例えるとわかりやすいと思います。

 

 

アサイーボウル理論

とわたしは名づける。真顔キラキラ

 

 

 

 

 

『アサイー食べたいな♡』

と思い立ちカフェに行く。

 

そしてカウンターでアサイーを頼む。

 

しかし、

『うちではアサイーはやってないんです

取り扱ってないんです』

と言われたとしよう。

 

そうしたら、あなたはどうしますか?

 

きっと

・アサイーのあるカフェを探しなおす

・他のメニューに変えて注文する

 

という選択肢をとりますよね?

 

 

 

相手に『なんで○○してくれないの!?』

とすごみ、迫ることは

 

このカフェのカウンター越しに

店員さんに向かって

 

『なんでアサイーやってないのよ!!!

今すぐ材料買ってきて作りなさいよ!ムキー!!』

 

って喚き散らすクレーマーと同じ

 

『アサイーをなんとしても作るよう相手に仕向ける』

と、コントロールしたくなるのは

 

アサイーを出してくれないとしたら

わたしは相手にとって価値がない

ということになる!

そんなの認めない!!!!

何としても出してよ!!!

だって!!!!そうしてもらえないと

わたしが価値のない存在だっていうことに

なってしまうじゃない!!!

 

という具合で、実は潜在意識の深いところで

こんなやり取りがきっとなされている。

 

 

いや、えー

だから、えー

取り扱ってないって

言ってんじゃん。凝視びっくりマーク

 

という話なのよ!!!www笑い泣き

 

相手はそれに応えるリソースを

持ってないんだってば!!!!!

 

 

 

でも、アサイーは食べたいよね?

どうしてもアサイーが食べたいなら

 

 

他のお店を探すんです。

 

アサイーってどこでもある食べ物

ではないんですよね。

アサイーが食べたい

(自分の具体的な欲求・ニーズ)

という自分のニーズに応えるには

自分でちゃんと明確に、的確にそれを

リサーチして、探す必要がある。

 

 

そのニーズは満たされてしかるべき

我慢する必要も、ないがしろにする理由も

 

皆無・ZERO・ゼ~~ロッ!!

 

 

他をあたる。

以上!!!!

解決!!!!!

 

それくらいシンプルなこと。

 

そこに、必要以上に

・『この人に応えてほしい!』

と求めることは、かなり無理があるし

・『応えさせたい!!!』

というのも傲慢だし

その相手でなきゃいけない

・『理由をこじつけていたり』

 

でも、他をあたるって!!!

そんなのダメでしょ?!

そんなの許されないでしょ!

 

と言っているのは

 

それはまるで

アサイーのおいていないカフェで

アサイーが食べられないと

しょげて、他のもので我慢し続けて

アサイーを食べてみたいという

自分の望みに制限をかけて

叶えてあげようとしない

 

なんて愛のない行為なんだ!!!!

 

と思わざるを得ない・・・

 

 

 

 

 

 

このブログで一貫してお伝えしているのは

 

 

自分のニーズをアウトソースして

外側から得ようと依存することは

ナンセンスであり

 

全ては自分自身で叶えるもの

 

ということ。

 

それを押さえたうえで♡

今回は自分のニーズについて

綴ってみたけど

 

 

他者は何でも屋さんじゃない

他者はなんでも揃うお店じゃない

 

そして、自分も同じ!!!

 

自分も誰かの何でも屋じゃないから

誰かのニーズに応えられなくてOK

 

『よそを当たってください』

というスタンスでOK。

 

そして自分も

『あ、取り扱いがなかったですか

わかりました、よそを当たりますね♪』

でOK

 

こうでなきゃいけない!

あ~でなきゃいけない!

 

とすればするほど

自分の欲求や想いやニーズや願いを

叶える自分で在るスタンスから

 

どんどん遠のいてしまうから。

 

 

アサイーの置いてないお店で

アサイーを出せとクレームを言う暇があったら

アサイーを置いている店を探せ、

もしくは自分で材料集めてつくれ。w笑い泣き

 

そうしてちゃんと自分のニーズに

自分で応えていいく行動を

主体的にとっていこう♡

 

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