▶︎▶︎続きです。

 

 

 

前回記事を書いて

ぐへ〜ってなってから

 

 

お腹いっぱい感があるけど・・ショック

 

 

 

自分の心を整理するために

書いてみようと思いますキョロキョロ

 

 

 

そして書いてみると、

やっぱり重ための内容になってます。(そして長い)

苦手な方は、読まない方がいいかも・・

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校を転校(2回)

 

 

小2と小6の時に、

小学校を2回転校しました。

 

 

 

1回目の転校先の小学校は、

とっても楽しかった記憶がある爆  笑

 

 

 

男女問わず

友達と放課後まで遊びまくりサッカー

 

 

 

この頃の私は

 

 

自己表現も活発で

学芸会の主役を立候補して演じてたような、

 

元気な女の子でしたおねがい

 

 

 

当時の習い事は、バレエと水泳バレエ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・が、

 

 

 

2回目の転校で、

環境が180度変わりますびっくり

 

 

 

それまで住んでいた地域は、

大阪でも下町風の、ヤンキーが多い場所。

 

 

新しく引っ越した地域は、

ビジネス街で、お嬢様おぼっちゃまが多い地域。

 

 

 

もう、新しいクラスに入った瞬間、

なんてお上品な学校なんだ!(※公立です)

 

 

って、衝撃受けたガーン

 

 

 

なんて表現したらいいんだろう?

 

女の子の笑い方が、

それまでは「ガハハー!!!」だったのが

新しい学校では「ふふふ♡」になった感じ。

 

 

 

 

 

 

馴染むために、努力したアセアセ

 

 

 

目立たないように。

周りを観察する。

意見は主張しない。

みんなに合わせて。

困った時は、ニコニコ。

 

 

 

特に楽しかった記憶もないけど、

特に嫌だった記憶もない。

 

 

そんな感じの2回目の転校でした真顔

 

 

 


 

 


新しい環境は、

本当はすごく不安で

怖かったんだと思う。

 

 

 

当時はそんな感情、

1ミリも外に出さなかったけどショック






で、書いてて気づいたけど、


1回目の転校までは、

家庭でのストレスを学校で発散できてた。


2回目の転校以降は、

自分を抑える方向に走ったから


家でのストレスを

どこにも発散することができなくなり、


この頃から、全て自分の内側に

抱え込むようになり始めたのかも。


 

 

 

 

 

血の繋がらない妹の誕生

 

 

 

 

中1の冬。

 

 

 

 

私と妹の下に、三女となる

父親違いの妹が生まれましたヒヨコ

 

 

 

 

今なら生まれたての子供に

手が掛かるというのはわかるけど、

 

当時はそんなこと分からない。

 

 

 

 

家庭での私の孤独感、増し増しもやもや

 

 

 

 

望んでもない妹の誕生だった上に、

長女だからとお世話を任される。

 

 

 

もう、苦痛で仕方なかったにやり

 

 

 

 

 

 

 

母に対して

「お前が産んだんやから、

お前が世話しろや」って

 

 

 

何回も何回も思った記憶があるもぐもぐ

(もちろん言葉にはしていない)

 

 

 

 

 

淡々と、ただ、生きてたなぁ。

あんまり記憶がない。

 

 

 

でも、

中学時代のわたしは、

 

家の中でも、学校でも

気配を消すように生きていた気がする。

 

 

できるだけ目立たないように。

発言しないように。

 

 

そんな感覚を思い出す。

 

 

 

 

 

 

本気で自殺しようと思って、

トラックに飛び込んだのは、この頃だったのかなアセアセ

 

本当に死ななくて良かったと、今なら思う。

 

 

 

 

 

 

恋愛依存

 

 

 

 

高校は、

義父の望み通り

地元の進学校に入学しました。

 

 

 

中学の時は義父から禁止されていた部活も

高校になったら許可がでて

 

 

高校の3年間は、

水泳部で真っ黒に日焼けしてました。

 

 

 

 

とっても大好きな彼と付き合うこともできて、

楽しかったおすましペガサス

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

高校、大学、社会人と

ずーっと彼氏が途切れなくいて、

 

 

 

別れそうになったら

次の彼氏にスタンバイしてもらってる状態。

そうじゃないと、不安だった。

 

 

 

今思うと、

恋愛に依存していたんだと思いますびっくり

 

 

 

心の穴を、

当時のお付き合いしていた人たちで

埋めようとしていたんだと思ううーん

 

 

 

一時的な対処にしかすぎないのだけど。

 

 

 

生きるために

本能的にとっていた行動なのかなあせる

 

 

 

 

 

 

 

思い返せば、

当時の彼氏たちにも

 

暴力とかヘビーな内容は、

全然話してなかったなぁアセアセ

 

 

 

 

 

やっぱり私、

人生かけていろんなものを

一人で抱え込んでいたみたい。

 

 

 

とにかく、

自分のこと隠す、隠すの人生でしたショック

 

 

 

 

 

 

バリキャリ女子・パニック発作

 

 

 

メガバンク営業職として社会人になった私は、

男性と同じ土俵で戦う毎日。

 

 

 

営業成績も優秀で、関西圏の表彰でも殿堂入り。

課のリーダーを務めたり、後輩育成にも取り組む。

 

 

 

 

周りから見た私は

いわゆる「バリキャリ女子」だったと思います札束

 

 

 

 

 

 

 

 

真面目な性格も手伝って、

仕事は手を抜くこともできず

 

 

 

入社してまもなく

パニック発作が出ましたもやもや

 

 

 

 

一人暮らしの時に

シャワー浴びながら気を失っていた時は、

本気で死にかける恐怖を味わったハッ

 

 

 

 

 

image

 

 

 

そんな状態になっても

自分を労わるどころか

 

 

 

「恥ずかしい」

「情けない」

「もっと強くなれ」

 

というような言葉で自分を罵り、

自分自身が敵になってましたえーん

 

 

 

 

大手企業のネームバリューや高収入が

私自身の価値と錯覚をおこしていたので

 

 

辛くても苦しくても

辞めることができず。

 

 

 

 

もう、

完全にセンサーぶっ壊れてました。

 

 

 

 

バリキャリ女子として活動していた

11年間は、

 

ほんとに命が削られる感じでしたガーン

 

 

 

 

 

 

 

なんとゆうか・・

 

 

積極的に死にたい!!ってゆう

中学時代とは異なり、

 

 

パニック全盛のころは

このまま消えたい・・

 

 

そんな、感覚でした。

 

 

 

 

 

「死んだように生きていた」

そんな表現がぴったりかも。

 

 

 

 

 

 

娘の誕生

 

 

 

わたしの人生に

変化をもたらしてくれたのは、

 

 

娘だと思いますハート

 

 

 

 

どんな私でも常に必要としてくれて

私のことを常に愛してくれて

 

 

 

死ねないな、って思うようになりましたニコ

 

 

 

 

この頃から、死にたい欲が

激減したように思います流れ星

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の内面と

向き合うきっかけになったのも、娘照れ

 

 

 

 

旦那さんと娘にも感謝だね〜ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とまぁ、

こんな人生でしたが

(まだ書ききれないものも沢山あるけど、割愛)

 

 

 

今ではぶっ壊れていたセンサーも復活し、

とてもとても幸せな毎日を送っていますおねがい

 

 

 

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幸せはいつでも、自分次第。

 

 

ほんと、そう思いますほっこり

 

 

自己受容による人生の激変を

身をもって経験したので、これは間違いないアップ

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに

 

 

 

私が思う、

自己受容3種の神器は・・

 

 

幸せになる覚悟

寄り添ってくれる仲間

凄腕カウンセラーさん

 

 

ですほっこりラブラブ

 

 

 

 

 

 

これからも日々コツコツ

自己受容すすめていくぞぉ〜ニコニコ

 

 

 

 

ひゃー、長くなったけど、

今日もお読みくださりありがとうラブ

 

 

 

 

ではでは、またね〜ニコニコバイバイ