織田家に逗留した南蛮人は自由に球を打ち分けて見せた
ドロー・ストレート・フェード・・・・
信長は尋ねた「もっと曲がる球は打てるのか?」 「もちろん」男は鋭く曲がるフックボールを打って見せた。。。
信長は確信した・・・これは物陰や木の陰に隠れてる敵を撃つ飛び道具だと
それまで以上に練習に励む一方、家中の者にもゴルフを練習させたのであった
南蛮人のコーチには内緒で球の中に火薬を仕込んで、煙を吐く球や破裂する球を研究し作らせた
数年の試行錯誤の末、信長の命ずる球は完成した。。。史上初のスモークボールが出来たのだった
そのころには織田家渦中で数十人がある程度の球を打てるほどに鍛錬を重ねていた
家中でも信長が最も上達していたが、信長は南蛮人の持つすべての技術を我が物にするために彼の言う娯楽としてのゴルフもおろそかにはしなかった
娯楽としてのゴルフは羽柴秀吉や明智光秀、前田慶次など主たる家臣と楽しんでいた
このころ信長は父信秀の死により織田家の当主となり尾張全域を平定したが・・・駿河の今川家は再三尾張に侵攻をしていた
1560年信長27歳の時、今川義元は2万以上の兵を率いて尾張に侵攻、次々に城砦を陥落させ進軍
迎え撃つ信長の尾張軍は5千・4分の一以下の戦力だった
突然煙を吐きながら飛んでくる球や破裂する球が桶狭間で休息する今川軍に襲い掛かった
鍛錬を積んだ織田軍のゴルフ熟練者が一斉に今川軍めがけて打ち始めたのであった
一つ一つの威力は大きいものではなかったが今川兵の戦意を削ぐには十分だった
兵たちは魔物にでも襲い掛かられたと恐れおののき・・・這う這うの体で逃げ回った
混乱している今川陣地に織田家騎馬兵が切り込んだときすでに雌雄は決していた
数分の一の兵力で信長軍が今川を破った有名な桶狭間の戦いで最も効果的だったのがゴルフだったのである
信長が自分の考えに間違いないことを確信した瞬間でもあった