今の自分の人格を
1番に形成してしまった過去とは
なんだろう?

「してしまった」
というからには
勿論
マイナスな意味での話し。


幼少期の私は
1人では幼稚園に登園出来ず
絶対に出入口まで
家族に見守られていないと
涙が出てしまい
怖くて登園出来ない。
今でも記憶にあるのが
私が強がって祖母に
「今日はここで大丈夫!」
坂の下(私が通った幼稚園は
坂の上にある)
でバイバイしたその日。

祖母が居なくなってしまった途端に
もう一気に涙がこみ上げてきて
でも自分で言ったからにはって。
幼きながらにも
多少のプライドはあったみたいで
辛うじて涙は流さず
ただただ誰かが登園してくるのを待ったんだ。
じっと幼稚園とは逆の方向を
ずっと眺めて。

そしたら仲良くしてくれていた
一つ上のお姉さんが
お婆さんと登園。

「やった!これで行ける!」
と、、
でも話しかける勇気は無いから
ただただそのお姉さんの後を
そっと着いて行った。
あの時にもう無茶は出来ないって
悟った気がする。




次は小学校の私。
幼稚園とは別の土地に来た私には
勿論友達も居なければ
あの時無茶は出来ないと
悟った私で過ごしているもんだから
そりゃあ小学校は
絶対に行きたくない場所だった。

母に泣いて
「お願いだから今日だけ休ませて」
って
慣れて行けるようになるまで
毎朝泣いて懇願したんだ。
勿論そのお願いは
叶わなかったけど。

 ここまでの私は
人と関わるのが苦手で
1人じゃ何も出来ない私。


ただいつの日からは
学校に行くのに
楽しい感情は一切無かったけど
普通に通学して
当時仲良くしてた子と
ほとんど一緒に居て
普通の毎日を過ごせるようになった。


家に居る自分は
ここが自分の居る場所っていう
認識は無くて。
特にお婆ちゃん子の私にとって
祖母と離れて暮らすように
なってからは特に。
兄とも仲良くないし
母は仕事で
まともに会話するのは
夜に少しだけ。
父は当時は単身赴任で
家には居ない。


唯一の私の味方の祖母と
離れてしまってから
私は何故か
何か強くなってしまったんだ。


1人で居ても大丈夫。
学校に行ったら
そつなく友達と関わって
家に帰って来ても
誰も祖母の代わりには
なれないから
自分の寂しい気持ちを
押し込めたんだ。


そしたらそれって
無意識にでも出来るようになって。

中学高校と
段々と自分の強さが増してった。

いつの日か
私は友達から相談される事が多くなった。
生きてる年数なんて同じだし
恋愛経験なんて
ほとんど無い私に
恋愛の話しやら
友人関係の話し。
なんにも経験してない私だけど
そりゃあ頼られたら
全力でその時思い付く言葉で
鼓舞する事が
その時私が出来る唯一の事。


その手法は
今の私となんら変わっちゃいないけど。


相談して貰えた事柄は
私の知識になった様に感じてた。
なんにも知らない私に
少しずつ他人の事象が
自分の≒経験値。


それでいつの日からか
私は人の相談役になる人生を
歩んじゃってた。

全然人と関われ無い癖に
上手く関わってる風で。
だから最初から今まで
ずーっとキャパオーバー。

だって本当の私は
人嫌いで
1人じゃ学校にも行けなくて
毎日毎日
祖母に可愛がってもらって
何も出来ない私なんだもん。

それなのに
いつしか
思い付く言葉は
人の心を打つ言葉に変わり
まるで自分が
経験してきたかのように
貫禄が出て
重みが出ちゃった。
私にわざわざ会いに来てくれる人まで
出来ちゃった。

なんだかそんな自分に
少し前までは
自惚れてた。

まるで私には
それを寛容できる器があるって
錯覚しちゃって。
そういう知識をも
私は経験してきたって。



ぜーんぶ嘘!
私にはなーんにも無い。



そんな驕り高ぶってる自分に
気付いたのは本当に最近。

思い出してみてよ?
本当の私は
自分から話しかける事も出来ないし
毎日泣いて
なんとかして
自分を守る事しか出来なかったんだから。


でもきっと祖母と離れてしまった事も
寂しさを隠せるようになった事も
私には必要で。


今は大事な友人の前では
私が相談出来てる。
完全に背中を預けられる
友人には感謝してる。
その広い心で
寂しさも受け止めてくれて
私の人格を受け入れて
認めてくれてる。



背中を預けられて
初めて自分の
相談役になってる人生の器が
広がった気がしたんだ。





相談役の人生を歩むからには
責任もって
その人が元気になって貰えるように
全力を尽くしたい。



その時
降りてくる言葉にはきっと
なんにも知らない私だけど
なんでも知ってる叡智が
宿ってるんだと思う。






キャパオーバーは
未知なる叡智の
入り口なんだと思う。