痛みって、人を変える。
ポルトガル語に「サウダージ」っていう言葉がある。英語にはぴったりの訳がない言葉で、もうそこにいない何かや誰かを想う、切なさとか、恋しさとか、ノスタルジーみたいな感情のこと。
俺はこの言葉がすごく美しいと思う。
一度誰かを本気で愛したら、どんなに忘れようとしても、完全に“愛さなくなる”ことなんてできないって証明してる気がして。
嫌な思い出や距離で覆い隠すことはできても、その感情自体は消えない。
ただ、俺たちはそれを上手く隠す方法を覚えるだけで、喪失の痛みを静かに抱えたまま生きていくんだ。

 

 

人生の偶然って、たまにゾッとするほど不思議だ。
2019年、たった週末だけ韓国に来たときのことを覚えてる。
静かな田舎の風景があまりにも好きで、韓国語の道路標識が写った道の写真をインスタに載せて、「I am in love…」ってキャプションをつけた。
まさかその2年後、自分が韓国に住んで、人生を永遠に変える出来事を経験するなんて、思いもしなかった。

今までたくさんの五つ星ホテルに泊まってきたけど、いちばん好きだったのはパリでもロンドンでもニューヨークでもない。
韓国の田舎、**龍仁(ヨンイン)**っていう街にある、小さなデザイナーズホテル。
Lee Design Hotel。本当に息をのむほど美しかった。
世界で一番ラグジュアリーで美しい場所のひとつが、まさかあんな何もない場所にあるなんて、誰が想像するだろう。

 

 

俺には、センスのある魂を持った誰かが、故郷に帰ってきて、そこで特別なものを作ろうとした結果に見えた。
でもそのホテルの、皮肉というか、悲劇的なところは――
俺が恋に落ちた相手の家から、たった15分の距離にあるってこと。
俺の心を粉々にして、ほとんど俺を壊した人の家の、すぐ近くに。

こんな偶然、何か意味があるの?
運命とか「すべては理由があって起きる」なんて信じないタイプだけど、それでもこの事実だけは不気味で仕方ない。

 

そして、俺はもう二度とあそこには戻れない。
近くを通るだけで、過去に引きずり戻されて、また鬱に落ちる。
もし誰かが、仮面があってもなくても、「そのままの俺」を愛してくれていたら、人生はどうなっていただろうって考えてしまうから。

あの頃の俺は、ただ誰かに――彼女でも、誰でもいいから――
「そのままでいい」って愛してほしかっただけなんだ。

 

何時間もかけて身支度して、愛している人に会うためにロビーへ降りていったあの瞬間。
そしてまた思い知らされる――
この人は、俺のことなんて全然好きじゃないんだって。
その記憶は、一生俺を苦しめる。

止められなかった涙が、その人の目の前で流れ落ちた。
神様、俺はなんて弱いんだろう。
あの夜、自分のことを10倍は嫌いになった。
でもそれでよかった。
向かいに座って、心底嫌悪した表情で俺を見るその人は、俺のことを100倍嫌ってたんだから。

 

 

 

泣いた。
本当に、どうしようもなく泣いた。
人間が泣いていい限度を超えるくらい。
でも翌朝、何事もなかったみたいに早起きして、鏡の前で笑う練習をした。
一度も泣いてない顔になるまで。

神が俺を殺したかったなら、そう言えばよかったのに。

「帰りたい」
俺が壊れるのを見たあと、その人はそう言った。

俺はため息をついて、「わかった」と答えた。

 

 

全部を手に入れられないこともある。

その夜、駐車場から一人でホテルに戻る道――
正直に言うと、全然大丈夫じゃなかった。
でも仕事があった。
感情なんて、いつも通り一番後回しだった。

「俺は男だ」
そう言い聞かせたけど、あの夜の俺はただの子どもだった。

相手は知らないかもしれないけど、
あの夜、一人でロビーに戻りながら、俺も一つの決断をした。
そしてその選択は、あの関係じゃなかった。

終わってると分かっているのに去るほど、辛いことはない。
俺は、きれいに去れるほど強くなかった。

あの夜、言われなかった言葉なんて、何一つなかった。

そして、
あの時みたいに泣くことは、もう二度とない。

今でも俺は、みんなが前に進んでいるのに、あのレストランに取り残されたままだ。

振り返ってみると、あの関係を必死に守ろうとしなかったことに感謝してる。
あの愛は、若すぎる人間が背負うには重すぎた。
本当に人生を生ききって、落ち着く準備ができたあとに出会うべき愛だった。
10代後半や20代前半で持つには、あまりにも早すぎた。

もし無理に続けていたら、もっと悲惨で、もっと毒のあるものになっていたと思う。

愛するって、
その人にとって一番いい場所が「自分の隣じゃない」と理解することなのかもしれない。
それでも、遠くから静かに愛し続けること。

恋に落ちるのは、雲の上を飛ぶみたいだ。
でも制御を失って、落ちて、墜落する。
一方で、愛の中で成長することは、
揺るがない階段を一段ずつ登って、天に向かうようなものだ。

「幸せになろう」
それが、あの日、最後に交わした言葉。

「幸せになろう」

それ以来、俺は疫病みたいにその人を避けている。

恥ずかしさなのか、
それとも人じゃなくて、「こうなるはずだった未来」という幻想を、俺がまだ手放せないからなのか。

あの人は、俺が唯一、立ち直れなかった喪失だ。

諦めることが、いちばん勇敢な選択のときもある。

神様、俺は最低だ。

でもようやく、あの人の幽霊を手放す準備ができた。
そして、梨泰院のトッポッキ屋に座ったまま凍りついていた、22歳の少年を解放できそうだ。

やっと、きれいになった。

心じゃなく、魂が壊れたまま、これからも生きていくとしても。

俺の精神的な脱獄は、あの瞬間から始まった。

幸せは、蝶みたいなものだ。

一瞬だけ、俺は漫画みたいな恋を知った。

でも生き残るために、その愛を殺さなきゃならなかった。
そして結局、それは俺も殺した。

今の俺は、愛にアレルギーがある。

それでも、
この胸の傷が、俺が人間である証として残っている。

――悪役編、開幕。