ほんまに長いです。
しかもまだ次に続きます。



自分と向き合えば向き合うほどでてくる矛盾。

就活時、企業選びでの軸は
「中小企業を支援する仕事」
「規模が大きくないところ」
「自分で仕事を任されるところ」
だった。
全ては「親の会社を助けたい」だった。
神戸にある会社から内定が出たけど、東京勤務と言われ辞退する。
そしてその後内定がでたのが1社目。
就活始めたのはやかったのに、結局7月。

1社目。
勤務したものの、想定していたものとの違いに愕然とする。
ベンチャーって何でもできるけど、それは結果がでてこそのこと。
結果が全く出ない私には何もできなかった。
契約は3件。両方とも上司同行。
成績は下だった。
業界的にブラックだと後で知った。
「ソリューション営業」と最初は言っていたが、
やはり会社全体で数字が出ないのでと「即ゲットして来い(即売れ)」と言われる。
なんとか頑張ろうと思っていたけど、年明けからは本当にやる気をなくす。
アポ取りの為の電話をやらない。
「もう一緒にはやっていかれへん」と言われたので
「辞めます」と言って辞めた。

2社目。
ルート営業の求人票を見て面接に行った。
しかし貿易事務を勧められ、それもいいかなと思いそのまま事務の道へ。
「電話にでてはいけない」と言われた1社目から、
「電話に率先してでないといけない」と言われた2社目。
女の子を意識され、窮屈を感じていたのは確か。
次第に物足りなくなり、色々な人と関わり、仕事を知り、仲良くなったと思っていた。
でもリストラにあう。
「ちょっと出すぎやな」の言葉を言われ。

3社目。
これまた営業での案件。
女性の営業が多いと言われ、紹介会社経由で面接。
またまた事務を進められ、SCM業務(物流)へ。
人より多い、3回の面接だった。
同じ課は派遣の方ばかりだったけど、私より年上の女性ばかりだったということもあり、かなり気を遣った。
前職の「出すぎやな」が効いていたので。
最初の上司(女性)には怒られながらも成長できたが、
その後の上司(男性)とそりが合わず。
私より2週間前に入った同期(1つ上、女性)がその上司と仲良くなればなるほど、私の立場が悪くなった。
彼女の仕事は減るが、私の仕事は増える。
大商に仕事に行く際、何度か彼女を電車で見たが、最初はとても気分が悪かった。
人をこんなに嫌いと思ったのははじめてだ。

業務量が多くなったのも相まって、ミスが増える。
クレームをもみ消そうとしたことも多々ある。
どのみち怒られるので後手後手になっていた。
先手を打てば後からばれるよりマシだと今になっては思うが、
あの時の私にはそれを考える余裕すらなかった。

「頑張っていれば認めてくれるだろう」と思ってやればやるほど、
「じゃあもっとできるよね」と業務は増える。
全盛期は4人分の仕事をやった。
12月は毎日終電。
一番ムカついたのは、年末最終日こちらは仕事に追われている時、みんながアルコールを飲んで盛り上がっていたこと。
こっちはおせちがあるから仕事なんや!!とキレていた。
当たり前だが上司にかみつけば噛みつくほど評価が下がる。
実際評価は低かった。

また、残業代が出ないのに遅くまで残らされていたのも嫌だった。
早く仕事を切り上げて、明日もガンバる!という思いだったのに
「早く帰る=仕事ができない」
営業ならば残業代が出ないと言うのはまだ分かる。
事務職に転換しようと思った自分のきっかけとして、
「働いた分を評価されたい」と思ったのもある。
事務職なのに残業代が出ないのは違法では?と思い社労士の勉強を始める。
「裁量労働制」をひいていたみたいなので、これはこれで合法。
もちろん違法だけど、「やるなぁ」と思い、妙に納得。
労働基準法を学んだところで本来の目的を果たしてしまい、社労士の勉強はここで終わった。

何度もグチを言い、それでも支えてくれていた人がいた。
同じ課のパートさん(女性、一回り上)。
私の味方でいてくれた方だったけど、その方が入院してのフォローが不足したのでその後そっぽを向かれる。
会社での後ろ盾がなくなったと思った私は極端に弱くなった。
あとあと考えると、その後も支えてくれていたのだけれども、弱くなった私にはわからなかった。
心療内科のお世話になる。ただ辞めた後は行かなくなる。

弱いまま、退社。
貯金がないまま辞めることになるため、なんとかしてすぐに給付をもらおうとハロワに相談をし、かつ医師の診断書をもらう。
なので「やむを得ない事情による自己都合」となる。


辞めたのが8月。
9月末ぐらいにはまた就活を始める。
その時、自分の経歴が浅いことを自覚し、不足を補うアピールがなかったこともあり、うまくいかず。
そのころから考えていたのが
「30歳になったら独立しよう」ということ。
ただここで問題だったのは「何」で「どのような形で」というのが全くなかった点。
また「自分を雇ってくれるところなんてないやろうから独立かなぁ」と軽い理由だった。

4社目。
派遣会社から電話があり、行ってみる。
時給も悪くない。残業代がでるならそれこそ前職より給料が上がる。
「豊通ファッションエクスプレス」に派遣されている筈なのに、
実際は「豊田通商繊維製品グループ」での勤務。
(本来これは2重派遣で違反になるそうです)
最初に面接にいた人が上司だとてっきり思っていたら、本当の上司がいた。
分かったのは勤務して3週間後。

3社目でも「嫌われてはいけない」という思いが強かったけど、
4社目でもそうだった。
営業さん(女性)に嫌われまいと行動すればするほど嫌われるし、業務が進まない。
納期が間に合わない。営業への報告が遅れてしまう。
なので残業しまくってしまう。
さすがに終電はなかったけど、10時になることはよくあった。

派遣会社の営業がうさんくさかったので
(何となく性格的に合わない)のでそれに対する相談をせず。
もっと強く言ってもよかったかなぁとも思うけど。

リストラ。
表向きは産休だったひとが戻ってくるから。
でも本当は合わなかったから。
4月末までと言われたけど、どうしても早く辞めたかったので1ヶ月前倒しにする。

4ヶ月の勤務を無駄にするのもなぁと思い、この派遣会社での継続勤務を考えたが、
別の案件を紹介してもらって面接に行った際、
営業が言っていたことと向こうの言っていることが全く違う。
やっぱりここはそうなのかなぁと思い、この派遣会社とは縁を切る。


そんなとき、メールを見る。
前職だった。
「独立前にコネ作っといたらいいよね」と軽い気持ちで行く。
面接の際、これまでの退職理由を人事課長(見た目怖かった(笑))に聞かれ
「そりゃ大変やったなぁ」と言われる。

前職では日記にある通り、とてものびのびとさせていただきました。
「やりすぎ」の声もありましたが
「切れるもんなら切ってみい」と変に開き直ったせいか、3年いました。
たぶん色々あったとは思いますが、自分の耳に入ってこなかったのでそこは乗り越えたのでしょう。

独立に関しては、学んだし知り合いも増えた。
でも「そういう生き方もあるよね」と視野が増えただけで、自分がやろう!とは思わなかった。
なのでサラリーマンをやろうと決めた。



自分がやりたかったこと2つ。
1つはキャリアカウンセラー。
人材系は営業職が強いので外す。
ハローワークの人間は契約職員なので、正規では大学職員ぐらいしかない。
もう1つは正社員。
派遣では組織の根幹に携われない。
正社員だと責任はあるが、その分携わることができる。
産創館の仕事はやりがいがとてもあり楽しそうだったけど、
数年しかいないと言われ長期的にいられないとおじけおののいて不採用。
就活をすればするほど表面化していて、
これの見方を変えないと次に進めないとわかっていること。


それは
「前職を引きずっている」こと。

派遣であることを除けば、最高の職場でした。
いい意味でも悪い意味でも「ゆるい」ところ。
部署がら「大人の事情」が絡みまくったけれど。

大学の就活の時は公務員やこういった仕事ははずしていた。
「根回し」なんて諸悪の根源やと思っていたから。
今は「そういうのもあるよねぇ」になっている。

確かに人事制度等「おいおい」と思う事はあったけれど、
それまで一般企業にいた私にとっては大したことではない。
というか、どこにでもあることやと思う。

部署によりけりやけど、
規模がそこそこあり、
自分で事業を任されて
挑戦もして
失敗した場合は次に活かすことができる。
そして、休みがとりやすいし
お給料はある(ハケンよりはね)

職員と仲良くなればなるほど
自分はできないもどかしさが募った。
そして、どこにも所属していない自分はつらかった。
何ヶ月かに1回しか会わない派遣会社の人に「お疲れ様です」と言われてもピンとこなかったもん。
かといって大商の人間でもないし。

あれもこれもしたいねんけど
最初から全てではなく、
初めは自分の職域があって、徐々に増やしていく。
その方がストレスなくできることに気が付いた。

小規模の会社だと最初から「あれもこれも」となり、結局「できなくなる」ことがある。
正社員だった時代全て40人程度の会社だったけど、
異動という考え方自体なかった。

そう言っていると希望条件が
1.中堅企業(200人前後)
  →自分の仕事がはっきりしていて、慣れてきたら仕事を広げられるから
  →全員の顔と名前が一致する人数
2.大阪を地盤としている
3.休みがあり、取り易い
4.お給料
5.経験を活かせる
6.挑戦ができ、失敗した際に頭ごなしに怒られるのではなく、原因分析をする

と極めて狭くなっている。
こういった会社は求人がでにくいので、出たらかなりの狭き門。


ニューロロジカルレベルで行くと一番下の「環境」だとわかっているのに、
ありのままの自分を認めるとこれになってしまう。
かといってチャンクアップして「人を支える」となると、
何でもよくなってしまう。
それでもいいかもしれないけど、またどこかでくすぶってしまう。

出したはずじゃなかったのか。
まだあるの?
学んで学んで
ほりさげれば掘り下げるほどでてくる自分の思い。
これに向かい合うのが今の課題なようです。
どうしたらいいんやろ・・・と思っています。
前から道を聞かれることが多い私。
一番最近だと、先々週本町で信号待ちをしているときに聞かれた。
多いときには1日4回聞かれたことも。
大阪ならわかるのですが、博多で道聞かれたときはびっくりした。
地元ちゃうがな。

今日夕方大阪駅のマツキヨ前で女の人がいた。
どこかをさがしているけれど、聞く人聞く人は場所が分からないよう。
最初どうしようかと思い、
後ろからずっと見ていたけれど、一向に場所が判明しないみたい。

「どこかお探しですか~?」
思いきって聞いてみたけど、急いでいる彼女には聞こえなかった。
距離はだんだん遠くなる。

大丈夫かなぁ~と思い帰路につこうと西梅田方面に歩く。
またさっきの彼女発見。
ちょっとわかったみたいだけど、それでもまだはっきりとしてなさそう。


「どこかお探しですか?」
もう一度、彼女に声をかける。
聞くとリッツカールトンに行きたいと。

道は1本だからわかりやすいけど、
どこを入ればいいのかがわかりにくい。
かといって地上を勧めるのもどうか。

そう思って出した答えは
「じゃあ、ご一緒しましょう!」
特に用事がなかったので、彼女をリッツに連れて行くことに。

聞くと会社のパーティーがリッツであるけれど、
東京の人間なので場所がわからないとのこと。
リッツは特に梅田でも西の果てやからなぁ。
話や服装からして宴会場だと判断、どのフロアか聞き、
エレベーターで直通ですよと案内。

いきなり走りだしたので、びっくり。
今日に限ってヒールはいていたので、
運動不足の身体にヒールで走ることはこたえる。

なんとか間に合ったみたいで、彼女はエレベーターに乗り込んだ。
よかったよかった。

彼女の大阪での思い出が良かったものになればと願いつつ、
ひさしぶりにたくさん汗をかいて、電車に乗りました。
就職活動中。
一番最初に始めたのが去年の11月やから、ほんま長期化してるよなぁ・・・
ま、一時期活動休んでるし、色々そぎ落としているからいいんやけど。

今日の早朝は満月&月食だったんですね。
起きて見ようかとおもったけど、結局無理でした。
それでもなぜか5時半ぐらいに1度目が覚めた。
その後、何度も寝て起きてを繰り返し、ちゃんと動くようになったのは9時半。

昼からJOBカフェでの書類添削。
「その仕事をしたい」思いは伝わるが、
「なぜその会社か」がわからないと言われる。
・・・確かに、そうだ。

その後は某所でコーヒーを飲みながら考える。
就職活動、
過去の経験は○○でこれを活かして今後もやってから・・・
と思い活動していたけれど、
もっと「○○したい」でもいいのでは。
仕事内容であれ、待遇であれ。
全てそろっているところなんてないって言われるかもしれないけど、
思わな引き寄せられへんやん。
実際に「ここ!」って思うところがあったらそれでいいやん。
たぶんその時には逆に色んなことがどうでもよくなってるんやろうなぁ。

これまでは自分を低く見積もっていた。
あまりにも高くするのはあれやけど、自分で自分の価値を下げてどうする。
転職の商品価値が低いとまわりや紹介会社に言われても、自分はそこで活躍できる自信がある。


あたしの人生やもん。
もっとわがままになっていいんや。
そう思った、満月で雨の日。
今日も不採用の連絡が2件。
ハロワで紹介状もらっているのが2件ありますが、応募はこれから。
現在手持ちはゼロ。

某大学の案件がでていた。
就職課勤務で正職員。
求人の開拓や他部署との調整などは、過去の経験が活かせる業務でもある。
大学の就職課をうまく使えず、その後も就職で苦しんだ私にとって、
一方的に発信するだけや待つのではなく、
こちらから「どう?」と言えるような、もっと開かれた就職課を作りたい。
私にとって「もっともやりたい」ことだった。

人材紹介会社経由の案件だったので(直接応募なし)、
思いを練りに練って、相談しまくって、書いた。
手放せずに苦しんで、やっと送ったのは月曜日。
思いと経歴と、努力を伝えた。

今日人材紹介会社からメールが来る。
「もっと経歴にあった方がいるので、今回は見合わせます」
紹介をしてもらえませんでした。



別の形で言ってみて、それでも無理ならあきらめよう。
やるだけやったら後悔はない。