“幸せ”というものはとても厄介なものだ。
今が“幸せ”だと認識できる人なんてごくわずかだ。
それはきっと何かを失った人か
はたまた、失いそうな経験をした人だろう。
人は自分が“幸せ”の中にいるときはそれに気づかない。
そういうものなのである。
現に今、私も幼少期のことを思うと
あの頃は幸せだったなぁなどと思うのだから。
しかしよくよく、よーくよーく思い返してみると
こどもにはこどもなりの大変な世界がある。
ちゃんと社会がある。
時計の針の見方がわからない
図工ののあとの絵の具のパレットを洗うのが面倒だ
社会科見学で隣の人と手を繋ぐのが嫌だ
マラソンで今日も横腹が痛い
給食にはあの酸っぱい謎の副菜が出る
などなど
こどもは自分で選べないことが多い。
義務教育で固められた毎日に
家では親の言うことに従わなければならない。
選べることが幸せだとは限らないということは
大人になってからわかることなんだけど。
つらつら書いたけど何が言いたいかというと
“幸せ”は通り過ぎたあと
もうそこに自分がいなくなった後に
感じるものなのではないか?
そう今の私は思うのだ。
じゃあもしかして今の私も、未来の私から見れば
幸せなのだろうか?