こんばんは〜!
大阪の戦略的モテメイクアドバイザーの石橋えりです♡


昨日は美容院、ライブ配信ときゅんきゅんがたくさん詰まった一日でした照れ

美容院は美容師さんがいくれて、ライブ配信は観てくれるひとがいるから楽しめるんだなぁと思うと
関わってくれる人にありがたいなぁって気持ちが湧いてきますねピンクハート

ざっくり自己紹介記事というか、こんな人生送ってきたよって記事を先日書いてみたんですが照れ




8年間彼氏なしでこじらせてたって話をするすると、
そんな風に見えない!生まれながらのぶりっこなんじゃないの?!って反応が返ってきたりするので笑い泣き

拗らせたキッカケや、そこから今みたいに女子力200%で過ごせるようになった過程を詳しく書いていきたいと思い
ます♡




まずは10代半ばの頃まで。

どんなことでもわたしが一番!と思っていた無敵の頃。


 

クラス委員や生徒会も必ず立候補や先生から指名されていて、わたしがやって当然だよねって思っていたり爆笑




でも無敵でいられたのは母親の存在が大きくて。

いつでも1番の応援団だよ、何かあればすごいね!あなたが一番だよ!って応援してくれていたんですね。


だからちょっと辛いことがあっても、
いつも自信満々でいられたんだと思います。



母親のために色々がんばっていたってわけではないけれど、
喜んでくれるのが嬉しい、っていうこともモチベーションだったかなぁ。




でも15歳の時に母が急に他界して、一番に応援してくれる人がいなくなったと当時のわたしは思っていて。


色んなことをどう頑張ったらいいのか、わからない状態に。






母親の勧めで決めた、
内部推薦で大学に進学できる高校に進学したものの、
勉強も全然しなくなって父親に心配もかけたり。





だけど入学して一年くらい経ってから、


「人生は限られてるんだから、やりたいことをしなきゃ!
とりあえずで大学に行って4年間過ごすよりも、やりたいことをして生きていきたい!」



って考え始めて、色んな専門学校の資料を請求し始めました。




でも進学予定の大学は父の母校でもあったし、
同級生の95%はそのまま大学に進学します。




この高校に合格して父も母も喜んでくれたのに、
大学に行かないのってめちゃくちゃ親不孝だよね...って悩んで、



大学に行かずに専門学校に行く!って父に話せたのが、高校三年生の進路を提出するギリギリの時。



この時に、やっと「ヘアメイクの専門学校に行きたい。」って話すことができました。





続きます右矢印右矢印右矢印

旦那さんと大好きな生牡蠣を食べに行った時♡