昨日あたりから、風邪で時間ができたので、お部屋の断捨離や衣替えなどを実施しましたキラキラ


 衣替えは、古くなった洋服や、着なくなったものとは思いきっておさらばパー気分転換に買いまくった服達の補強工事や、ユニクロの生地のいい服を軽くリメイク&補強をしましたグーキャミとかの紐が伸びるが目に見えてるやつとか、縫い目を入れて補強するだけで、持ちが違うからね目貧乏くさいけど、でもお気に入りは長く着たいからさビックリマークユニクロの新素材もすごく着心地いいし、長持ちするのよねアップいや、貧乏くさいねあせるでも高い服で肌触りが微妙で傷みやすいのって、多くないはてなマーク見る目がないだけかしらガーン



 あとは、作らなくなったガンプラともおさらばパーなんか、プラモデル自体が向いてないみたいあせる機構の勉強にと買ったけど、仕事も機構系ではなくなったし、好きでもないプラモを作るのって、時間がもったいなとか思っちゃう時計

 箱がデカかったから、捨てたら空間ができて、収納ができ、また少し部屋がスッキリしたドキドキ



 更に、震災後中断していた英語の勉強を再開ロボットとにかく数種類の教材を、気が向いたやつからやってるんだよね本楽しちゃいかんと思うけど、継続できるようにモチベーションをあげてねアップ昨日・今日は、英文法のテキストをお風呂で読みました本ほんと、英語は嫌いで中高は授業をサボリまくってたから、辞書引いても文が読めない子だから、まずは文法を軽くわからないとねメモ



 あと、やったら覚えてるのが、中学の時のALTの先生と話した、英語でゲームする時に使ったセリフなんだよね手紙買い物とか、道を聞くのとか、時間や日付を聞くのとか、文法とか単語とかよりも、口や体が覚えてるんだよおとめ座だから、とにかくしゃべるのがいいのかなって、話すための英文法っていう、一人で小芝居しながらブツブツと喋りまくるタイプの教材もやっています女の子


 単語はキク単で、楽しようとしてるけど、通勤時間15分の間に聞くだけだから、効果のほどは謎・・・流れ星



 とりあえず、6月初めの仕事の国際会議の懇親会で、introduceがちゃんとできるように、頑張るぞグー



        日々邁進

 えりもは、あれこれ美容の悩みはあるけれど、最近は



髪のダメージも大きな悩みです(;´▽`A``



 キッカケは、一年くらい前に美容院で言われたこと



えりもさんの髪は痛み過ぎて、カラーとパーマの両方をかけるのはできません(*´Д`)=з



 そこから、髪について研究しました・・・



シャンプーはノンシリコンが良いとかで、長年愛用していたダヴからいち髪へ・・・

洗い流すトリートメントは週2でいち髪、アウトバストリートメントは大島椿のオイルを毎晩付けています目



 そうして数か月が経過・・・



 ちょっとは髪質が良くなってきました合格美容院ではカットのみorカットとパーマだけにして、カラーはやめましたDASH!まだまだ27才だし、そろそろ染めたいわぁダウンすぐにプリン頭になっちゃうから、家でのターンカラーをたまにするのみですあせる



 でも、結構伸ばしたいから、もう少し我慢です音譜



     日々邁進

 父は入院早々、様々な検査をし、マルクという骨髄の検査(超激痛らしい)を受けたメモそうして、家族全員に医者から説明を受ける日がすぐに来た病院



 えりもは家族の中では一番、理論的な話を「理解する」に長けていたから、メモを取って親戚中に知らせて回る役割を担った。



 医者からは、父の病名は、「急性リンパ性白血病」で、まずは抗がん剤治療で頑張りましょうと言われた。抗がん剤でダメなら、骨髄移植になるが、当時55才だった父には体力的に移植に耐えられるかギリギリという話もされた。



 医者からの話が終わって病室に戻るなり早々、父は看護婦に連れられ次の検査へと向かった。父がいなくなった後すぐに、医者から家族全員が再び呼ばれた。そこでは、本人への宣告は身内の判断に任せるといった内容の話をされた。生存率の話だった。当時の父の5年生存率は、50%だった。これは、抗がん剤治療が効いても、何度も再発を繰り返す危険性が高いこと、年齢が高いため体力的に厳しいということを考慮しての数値だった。



 ウチの家族は、チキンな父に少しでも気力を付けようと、この生存率は秘密にした。父へは「今の医療は進歩してるから、かなりの率で治るらしいよ~」って話をした。でも仕事熱心な父は、仕事に復帰したがるから、体力的に仕事はもう無理だろうとは話しておいた。



 私はすぐに仙台の書店で、白血病についての本を探した。白血病って、有名なようで詳しくは全然わかんない病気。なるべく読みやすく、わかりやすく、詳しい本を見つけた。タイトルは忘れたし、確か父のお棺に一緒に入れて燃やしちゃったからもうないんだけど、とにかくわかりやすい本だった。そして私がまず読んで内容を理解してから、両親にあげた。



 そうして、すぐに抗がん剤治療が始まった。体のがん細胞を攻撃する治療。父の場合は、血液を造る造血細胞が破壊されるため、大量の輸血をしていた。有名な副作用では、吐き気や口内炎などがあるらしいが、父の場合は酷い便秘だけであった。髪は、元々禿げていたが、全部禿げた。まゆ毛や鼻毛まで、全部禿げた。ドラマとかでありがちなニット帽をかぶった。



 最初の方、父はショックで2週間もお風呂に入らなかった。けど、だんだん頑固な性格が丸くなってきて、お風呂に入った。それからも、外出が許された時には、冬でも生涯サンダル派だった父が、スニーカーを掃きだしたり、服もお決まりのズボンしか掃かなかったのに、Gパンを掃きだしたりした。



 治療中に、父の会社の親会社の人が来た。父の社長の権限を、他の人に委託する書類にサインするためにきた。私は立ち会わなかったが、頑固で泣くはずのない父が、泣いたらしい。



 抗がん剤の治療は、何度も何度もやる。何度も何度もやって、割合でがん細胞を殺していくのだ。ほとんど0パーセントに近くても、地固め療法と言って、抗がん剤を更に投与する。たまに無菌室にも入る。抗がん剤が一度終わるたび、数日の外泊許可が出る。ずっと家に寄りつかなかった父が、珍しく家でゆっくりした。犬と遊んだり、姪と遊んだりしていた。



 何回目かの外泊の時、父の会社の事務員さんが急死した。後にわかったことだが、父の不倫相手であった。父は不倫相手の葬式に出席し、最後の別れの儀式に参加することができた。



 夏が過ぎ、秋になり、抗がん剤の治療で父は、体力的にダメたったのか、すぐに再発したのか覚えてないが、寛解状態まで持っていくことはできなかった。



つづく

 ちょっと嬉しいニュースです合格



えりもの大学衛星が、本になりましたo(〃^▽^〃)o


ラッキー☆スター   -衛星と恋愛、大好き乙女の独り言-


 えりもは学生マネだったから、謹呈本をいただきました本


 思い返せば、いっぱい大変なこともあったし、いっぱい泣いたし怒ったし、でもいっぱいいっぱい色んな人と関わって、今となれば、本当に嬉しい思い出&たくさんの技術を詰め込んだ3年間だった・・・ラブラブ



 そんな思い出や技術が、ギュッて詰まった一冊本



 一生の宝物です指輪



 ちなみに、えりもは執筆はしていないので、印税とかは入んないからパー


         日々邁進

 あの日、お盆も開けた8月の17~18日あたりだったと思う。


 私と妹はそれぞれ仙台に一人暮らしをし、姉は夫婦で当時9か月くらい?の姪と東松島市のアパートに住んでいた。東松島市の実家には、両親が住んでおり、姉がよく実家に姪をあずけたり顔を出していた。


 私は仙台で大学院の修士2年、大学衛星の学生マネージャーとして、バリバリと開発していたロボットあの日よりも、数日前から、どうも父の体調が良くないという話は聞いていた耳風邪みたいだとカゼ



 父は病院が大っきらいで、何があっても絶対に病院になんて行かない人。虫歯も顔がパンパンに腫れるまで放置しちゃうタイプ。小さいけど青果卸売の会社を経営しており、あまり家には帰ってこないタイプであった。


 たまの調子が悪い日も、無理を押して仕事に行ったり、病院にはいかず、寝て治すタイプであった。



 でも、今回の夏風邪は違った。あからさまな高熱とかではなく、とにかく体がダルくて持たないんだと。仕事中も、仙台の市場に行くのに体力がもたず、トラックの中で仮眠を取ったり、そんな生活をしていたようだ。


 そうして、どうにも体がだるく、父は珍しく会社を休み休みに寝ていた。顔もゲッソリ気味だったようだ。


 普通なら「いつものことだろ、どうせ病院行かないし」なんて家族は思うのだが、姉がふと、嫌な予感を察知した。ここがかなり奇跡だったと思う。このミラクルがなければ、父はもっと早く死んでいた。



 父は、腰痛(疲労)が原因だとばかり思い、近所の接骨院に行った。姉は強制的に病院に連れて行こうと、従姉が事務をやっている町医者にコッソリ予約を入れ、接骨院の人にも「治療後にコッソリ姉に連絡を入れるように」根回しをした。治療後の父を、拉致同然に姉の車に乗せ、嫌々病院に連れて行った。


 病院では従姉と先生が、嫌がる父を無理やり診察した。


 血液検査をして、すぐに(数日後だっけかな?当日かな?)医者から「エイズ患者と同じくらい酷い血液だ、早く大きな病院で検査を受けるように」と言った。父は大きな病院へ行くのを嫌がった。社長と言う立場上、どうしても外せない仕事があったからだ。

 あの頃父は、「自分は単なる栄養失調だ」と言い張っていた。それくらい、ウチの家庭事情は、人間関係と言うか、家庭崩壊気味だったのは事実だった。



 そして8月23日(だったと思う)、父は母に付き添われ、石巻の日本赤十字病院に行った。



 その日、私は衛星に使うベリリウムカッパーという素材を、青葉山にある大学から、車で八木山を越えて、長町まで受け取りに行かなければならなかった。業者と昼過ぎに約束をして、大学から一旦、八木山の自宅に寄ってお昼ごはんを食べようとしていた時、携帯が鳴った。



 母からのメールだった。あのメールを見たときのことは忘れもしない。



 「お父さん、白血病だって」



 父は、その日のうちに即入院をした。



 TVとかでお涙ちょうだいの場面でよく使われるあの病気が、まさか自分の身内に降りかかるとは思いもしなかった。



 私は、その日、半泣きでベリリウムカッパーを取りに行き、梅ちゃんとかには話したような気もするが、他には誰にも言えなかった。





 つづく