「宗教」について私が考えること | 伊藤 恵利子/あなたの財の運気を回す【大阪・オンライン】

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7月にあった安倍元総理の事件以来

宗教、特に新興宗教についてのニュースをよく見かけるようになりました。

 

 

私は大学で宗教学を学びました。

とはいっても、宗教に深く関わってはきませんでした。

 

 

いわゆる宗教二世ではないですし

初詣にも行けば、クリスマスパーティーもする。
そんなごくごく一般的な日本の家庭に育ちました。
 
 
そんな私でも宗教にまつわるエピソードはいくつか持っています。
 
 
占い師というと宗教と混同されがちなところがあるので
今までの人生における「宗教」との関わりと
私の考える宗教との付き合い方について書いてみます。
 
 
 
 
私の宗教との関わりの一番古い記憶は小学生のとき。
友達に誘われて、キリスト教教会の日曜学校に通うようになったことです。
クリスマスのパーティーが派手で楽しかった記憶があります。
 
 
聖書をはじめて読んだのがこのときだったのですが
その後、厨二病的な作品で聖書の一説が使われているのを
「あー、これ新約聖書やな」
とか
「旧約聖書のエピソードやな」
とわかるようになったのは、このとき教会に通ったからです。
 
 
無理に入信を勧めるような教会でもなかったですし
知識の1つとして聖書を知るのは
本や不思議なことを知るのが好きな子どもだった私にとっては
単純に楽しい経験でした。
 
 
教会は小学校の近くだったので、卒業と共に行かなくなりました。
 
 
 
 
その後、中学生のときは何のエピソードもないのですが
高校は私立の仏教校に進学します。
プロフィールにも書いていますが、四天王寺高等学校です。
(高畑充希さんは後輩になります)
 
 
仏教校に進学したけれど
大阪でトップとされる進学校だったためか
思っていたほど宗教色は感じませんでした。
 
 
他の高校と違うだろうことは
 
1、月・水・金の朝のホームルーム前に般若心経が流れていた(誰も聞いていない)
2、週1回仏教の授業があった(ほぼ全ての生徒が違う勉強をしていた)
3、卒業前に宗教行事に絶対参加しなければならなかった(不参加だと卒業できないという噂)
 
ぐらいかな、と(十分な気もしますが)
 
 
この中でも3はよく覚えています。
進学校で受験、受験と言われてばかりだった高校3年生が
全員四天王寺に泊まって授戒灌頂会という密教行事を受けるのです。
(2015年以降出てこないので、今はないのかもしれません)
(ブログあるとかびっくりやで・・・)
 
 
この授戒灌頂会は、一般の信者さんにも行われるかなりガチの宗教行事です。
大勢の僧侶が読経する光景や夜間に行われた密教行事はなかなか壮観でした。
 
 
なぜこの光景をよく覚えているかというと
これだけの光景を見せられれば、宗教にハマる方が出るだろうなと感じたからです。
 
 
信心のない私でもそう思うくらい、迫力がありました。
 
 
私は現在お寺さん(と大阪の人は言う)に行くのは寺院拝観かお墓参りくらいですが
四天王寺は母校ということもあるけれど、やはり特別な場所だと感じるときがあります。
 
 
 
 
そんな高校時代を経て、進学したのは関西大学文学部哲学科。
人の心理について学びたいと思ってです。
(心理学科も受験したけど落ちました←)
 
 
哲学科といってもそんなに変わったこともなかったと思います(たぶん・・・)
大学3回生のとき、本格的に専修に分かれたのですが
 
哲学専修
倫理学・宗教学専修
美学・美術史専修
 
の3つから、この教授に学びたいという理由で選んだのが
「倫理学・宗教学」でした。
(今はこの大学におられないので知りたい方だけどうぞ→この方
 
 
宗教学となっていますが
中身はほぼ文化人類学、民族学、民俗学でした。
 
 
無事4回生でその教授のゼミに入りましたが
年末の卒業論文追い込みの時期に連絡が取れなくなると
ゼミに入ってから知らされたのは、まあ、いい思い出です(ひどい目にあいました)
 
 
 
 
そんな私が宗教に対して疑問を抱くようにになったのは
祖父母が亡くなったとき、私が大学生のときのことです。
 
 
祖母はどちらかといえば心の弱い人でした。
小学生だった私に
「私はこんなにつらい、もっと構ってほしい(意訳)」
みたいな手紙を頻繁に送ってきていたくらいです。
(読むほうがつらいぜ!)
 
 
それから何年かして、祖母はキリスト教の洗礼を受けたと聞きました。
 
 
祖父は身体が弱く、何度も入退院を繰り返していましたが
その入院時に院内感染で亡くなりました。
(そのエピソードはここで少し書いています▶︎メメント・モリ
 
 

祖父が亡くなったときは仏式のお葬式でしたが

その1年後、後を追うように祖母のときは教会でのお葬式でした。
 
 
そこで教会側から聞いたのが
「(この教会の)天井は〇〇さん(祖母)が作ったようなものです」
という言葉。
 
 
・・・え、今、何言うた?????
 
 
出棺のときに、宗教でつながりがあった叔母だけが祖母の棺に泣きついているのを見て
どこかしらけた、納得のいかない気持ちを抱えながら葬儀を終えたのを覚えています。
(祖母と叔母は同じキリスト教信者でした)
 
 
 
 
高校生のころにオウム真理教の事件を見ていたこともあって
宗教にお金がからむことに対して
このときものすごく嫌な気持ちになりました。
 
 
これまでの小学校のときの日曜学校でも
高校のときの宗教行事でも
学んでいた大学の宗教学教室でも
嫌な宗教体験というのは特になかったのですが
このときから宗教というものに対して一線を引くようになりました。
 
 
でも、祖母が天井を作れるほどのお金を寄進したのも
問題になっている霊感商法のような犯罪行為ではありません。
 
 
祖母は自分の話を聞いてくれるところに
お金をお渡ししたかっただけだったのでしょう。
けれどもそれは依存だと思うのです。
 
 
このときのモヤモヤした気持ちは
占い師になった今でも思い出すことがあります。
 
 
占いと宗教はまったく違うものです。
けれども依存する方がいらっしゃるところはよく似ています。
 
 
たとえばお客さまのお話を聞いていて、
連続でセッションに来ていただいたほうがいいなと感じることが時々あります。
そんな方のために継続コースもご用意しています。
(ちょっとだけですがお得になります)
 
 
けれども、それはお客さまが判断されることだからと思って
お勧めしないで終了してしまうことのほうが多いのです。
 
 
依存に対して、私が必要以上に過敏になりすぎているのかもしれません。
 
 
 
 
「宗教」そのものは、人にとって必要なものだと思います。
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」では
宗教とは「超人間的な秩序」と語られています。
 
 
宗教自体が完全な悪というよりも
宗教を悪用する人が存在するだけなのだと思っています。
 
 
それは占いも同じです。
占い自体ではなく、それを利用する人によって
善にも悪にもなりうるものだと思います。
 
 
私は宗教的背景はありません。
時々「占いしても、壺は売らへんで〜」と冗談で言ったりしますが
占いを使って誰かをコントロールしたいとは思いません。
 
 
昔からある占いという1つの知識が
迷ったり、困っている誰かの一筋の光となれたらいいな。
 
 
そう思いながらセッションや講座を行なっています。
 
 
 
 
 
  
 
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