1978年生まれなので
10代のころにバンドブームを経験しています。
「方向性の違い」
ある日突然この言葉1つで消えるバンドが
本当にたくさんありました。
10代という多感な時期に
平家物語の始まりのような光景を見てきたのは
のちのちの私に強く影響したように思います。
なぜかはわからないのだけど
私が今推している方たち(ユニコーン、Cocco)は
一度活動をやめた過去をお持ちです。
自分でもどんな性癖やねんと思うのだけど
一度なくなって戻ってきたものだから
離してやるもんかと思う気持ちは強いような気がします。
ユニコーンに再度落ちたのが2021年の9月。
▶︎ユニコーンと不眠症
再度落ちたタイミングでツアーの最中という幸運があって
コロナ禍であったのにすぐにステージを見ることができました。
それでも今みたいにあっちこっち追っかけるなんて思っていませんでした。
(武道館なんて一生行くことないと思っていました)
それがなんですか、10月に福島でフェス出るなら行くしかとか言い出す始末。
(そして家族も一切止めないという)
最初に見たツアーのとき
ユニコーンのことを知りたくて
そして記事を書くのに間違ったことを書きたくなかったので
本当にたくさんユニコーンのことを調べました。
調べまくった結果、
ツアーの間隔は1年おきだなと、なんとなく思っていました。
これは好きなのか、好きなのか???と
ずっと自分に問いかけ続けていたので
(偏印持ちの厄介なくせ)
ツアーラストにまだチケットがあることを知って
これが最後かもしれないからと武道館まで追いかけていきました。
次は2年後で、そのときには熱が引いてるかもしれない
そうしたらこの気持ちを追求できないかもしれない。
こんな感じで純粋な気持ちで追いかけてるんじゃないなあと思っていたので
武道館にいたとき、ものすごく腰がひけてたんです。
久しぶりの再会をとても楽しそうに喜ぶファンの方たちや
息を呑んで開始を待っている観客席を見ていると
好きなのか好きじゃないのかとか思いながら
おそるおそる武道館に来た私はなんだか邪道だなーと思っていました。
楽しむんなら楽しめよ、と。
▶︎好きなものに熱中しきれない自分が、おもしろくもあり、つまらなくもある<偏印>
好きなものは永遠には続かないという思いが
私の中にずっとあります。
それは10代のころに経験した
バンドブームとその解散にも原因があるのでしょう。
好きになりすぎたら、なくなったときに悲しくなるから
だから最初から好きにならないようにしようと
ずっと予防線を引いてきたような気がします。
誰かのことを好きにならないように
自分のことを絶対に好きにならない相手を好きになったり
そうやって誰かや何かにのめり込むことを否定し続けてきました。
思えば中学生のときのユニコーンの好きになり方も
そんな感じだったのです。
好きになりすぎないように
常に一線を引いて、斜に構えて。
私はアルバム「服部」からユニコーンを知ったので
「BOOM」や「PANIC ATTACK」のころのユニコーンはあまりよく知りません。
私にユニコーンを教えてくれた同級生は
「PANIC ATTACK」のころのユニコーンが好きだとよく言っていて
当時の私は阿部義晴さんが好きだったので
あんまり趣味合わへんなあと思ったりもしていました。
(現在は箱推しだけど、阿部さんに今でも一番深い思い入れを持っています)
嫌われたくないから話を合わせて
自分の好きよりも相手の好きを優先して
でも結果は仲違い。
「方向性の違い」
そして、この言葉をまた思い浮かべるのです。
それでも私はその後もユニコーンを追いかけています。
「ケダモノの嵐」も
「ヒゲとボイン」も
「おどる亀ヤプシ」も
「ハヴァナイスデー」も全部聞いています。
テレビの歌番組に出たら必ず見てました。
唯一聞けなかったのは
解散前最後のアルバムである「スプリングマン」だけ。
このアルバムだけ、最近になってようやく聞けました。
なくなったら悲しいから
好きになりたくないって距離を置いていたのに
やっぱり好きだったんですよ。
なくなってしまって悲しくて
思い出したくないから封印してしまった。
推しが阿部さんだったので
解散後にあったバッシングなんかも見ていましたし
解散後すぐにソロ活動を開始した奥田民生さんを
見たくないと思っていた時期もありました。
私にとって「好き」はパンドラの箱だから
ちょこっと開けてみてはすぐに蓋をする。
そんなことを繰り返しているうちに
どうやって何かに熱中したらいいのか、わからなくなってしまいました。
そうやってどん底に転がり落ちたときに手にした占いを
現在仕事にしているのが不思議だなと思うときが時々あります。
私にとって最高最強にトラウマであるユニコーンの「すばらしい日々」
この曲の中に
君は僕を忘れるから
そうすればもうすぐに君に会いに行ける
という歌詞があります。
この先、めちゃくちゃ好きになってもお別れしなくてはならないときもあるでしょうし
いろいろな偶然や幸運が重なってまた出会えるときもあるでしょう。
それでも生きている限り
日々は続いていくのです。
悲しみから過剰に逃げるのも
好きから過剰に逃げるのも
不自然なことなんだなと今は思います。
もっと感情に素直になっていいし
推しは推せるうちに全力で推せばいい。
好きを無理に押さえつける必要は全くないのですから。