今日は、父の17回忌

母と息子と3人で供養して

息子と、嫁と、お腹の子供とでお好み焼き

そのあと、癒されに、海を満喫


明日は、ゆめタウン下松です





人生の目的は何か

人生とは
生まれて生きて
死んでいくことか。

人生とは
人がこの世で
生きている間のことで
人の一生のことです。

つまり、人生とは
生まれて、生きて、死んでいくことです。

誰も異論はないはずです。

では
人生の目的は何でしょう。
行為の目指すところです。

人は、生きて、いったい何を
目指すのでしょうか。

希望にみちて
旅を続けることが
旅の目的地に
到着することより
よいことである。
と言った人がいました。

そのプロセスが
大事だということです。

果たしてそうなのでしょうか。

目的地には
必ず到達するものだと
考えれば
この考え方は「逃げ」
でしかありません。

目的地のはるか向こうの
目指すべき地にあこがれて
希望にみちて
旅を続けることが、よいことである。

私たちは
目に見えるモノの世界を
通り抜けて
目に見えない世界に入ってい
くのです。

人生という旅の目的地は
この世のはるか向こうの
見えないところにあるのです。

この目的地は
近づけば向こうに行く
近づけば
また向こうに行くのです。

到達できないと知って
到達することを意思して
近づいていくところです。

追いかければ追いかけるほど
高くなっていく。

深めていけば深めていくほど
まだ深くなっていくところです。

まぼろしを追いかける人生は
むなしい。

人はこころとからだで
出来ています。

こころすなわち
目に見えないもの。

からだすなわち
目に見えるモノ
とで出来ています。

人生は、うえの住人と
したの住人が
コラボレーションする
特殊な期間です。

からだは
目に見えるモノですから
モノとして現れて
変化しながら存在し
最後には消滅していきます。

必ず消滅します。

モノはしたに現れ
したで消滅するのです。

こころとは魂のことです。

魂は見えない世界の
うえから降りてきた
意識体ですから

この世で
モノであるからだに入って
モノの生き方を導き
モノが消減するときに
もといたうえへ
還っていくのです。

こころは消滅しないから
永遠のいのちを持っているから、還っていくのです。

さて人生の目的でです。 

モノはまぼろしです。
いずれ消えて無くなっていくからです。

人生の目的は
生きて変化(成長)しながらも
結局は消滅することでしょうか。
消えて無くなることでしょうか。

まぼろしを追いかける
人生はむなしいでしょう。

からだが無くなっても
生き続けるものがこころです。魂です。

人生の目的は
この魂が知っているのではないでしょうか。

永遠に生き続ける魂こそが
人生の目的を知っているのではないでしょうか。

目的は、消えてしまう
モノの中には無いのです。

目には見えないが
永遠に生きるいのち。

目には見えても
必ず消滅していく「からだ」

目には見えないが
永遠に生きる「魂」。

からだの「命」と
魂の「いのち」。

どちらの命(いのち)を
燃やすことが人生なのでしょう。

どちらが生き生きと
生きていけるのでしょう。

魂は
この世という目に見える世界を渡りぬけて
目に見えないあの世へと
還っていきます。

魂の旅の終着駅は
見えない世界にあるのです。

目的は、永遠に生き続ける魂が持っていて、魂は全部知っているのです。

この魂との対話によって
人生の目的を
探ることができるはずです。

仮の私と、本当の私。
からだの私と、魂の私。

目には見えないが
永遠に生きるいのち
それを燃やすことが
私の、生きる目的なのです。

何のために人生を生きるのか。

あなたは
死ぬために生まれてきたのですか。
成長しても、結局は消滅する
ために生まれてきたのですか。

無くなることを
目指していたのですか。

それで
がんばっていけるのですか。

人生のたった一つの目的は
その向こうにあるのです。

人は何のために生きるのか
その答えは
目に見えないところにあるのです。

愛読著書からの抜粋

魂と対話する
人生相談師『えれ』
山口県防府市桑南1-2-8
風の縁り処『風』 國廣法子