1番古い記憶は幼稚園。
布団の中で目覚めた瞬間の記憶。
当時、幼稚園が大嫌い。
なぜいやだったのかはわからない…
でも毎日ぎゃん泣き。
園内でもひとりで遊んでいた記憶は多く、
おりがみとか絵とか、1番だったのは絵本。
感受性が強すぎてよく読んでは泣いていた。
家の中では幼稚園から帰ると祖母と曾祖母がおり、
祖母によく遊んでもらった。祖母は仕事があるので夕方
いなくなったが、それからも両親が帰宅するまでは愛犬と
ずっと遊んでいた。おもに絵を書いてた。
これ、今でいうHSCですよ絶対。
HSPの自覚はあるけど、環境としては理解者がいなかった…
小学生になると早い段階でいじめられた。
まず算数が苦手すぎてからかわれていたのと、
同級生がよくない……![]()
女同士のよくある陰湿ないじめにあい、
その子らと一緒にいなければいいのになぜか離れられず、
って感じ。
ここで現在も続く親友に出会う![]()
さらに先生が3年のときやばかった![]()
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おもに叩く。言葉で傷つける。あと、いつも体育?してて
ろくに勉強を教えない先生だった…やばいよ今なら。
でももこの頃からいじめられているのが常で、
父親はアルコール依存症にもなり、家で暴れてた記憶。
曾祖母はボケて徘徊するし、母親は仕事で遅いので
祖母が私の心の支えだった。
友人はいたし、遊んでいた記憶もあるけど、学校は大嫌いだった。
このへんのときって、夏休みとかに片っ端から同級生に電話してたw
遊べる?って聞いてて、午前中とかに電話したりして親が言いつけてw
自分の親にばれて怒られたりもしてた
w
結局さみしかったんだと思う。
誰かといたかったのかと。
高学年になると本当にひとりぼっちだった。
教室にいるのがつらくて仮病を使うようになる。
ブラスバンドに参加したら、母親が代表になってしまって
やめたくてもやめられなくて最悪だった。
で、高学年の時一緒にいた子がいるんだけど、
この子と私は仲良くしたかったんだけどもいわゆるメンヘラでw
機嫌が悪いと無視したい、挨拶すらしない、
遊んでも帰るとき私があいさつしないと無言なのw
感じ悪いっていうか、俗にいうコミュ障だと思う。
でも彼女といるしかなくて、ひとりだったから…
この子との関係はかなり悩んだ。
少しづつ不登校になっていって、勉強もわからなくなって、
当時の先生のやり方も無理やり来させる、って人が多かったため
私はほんとに何も感じなくなってった。
ふつうはいやだとか悲しいとか思うんだろうけど、当時を思い返しても
あまり何も思ってなかった。ってか思ったら生きるのが辛くなるから
あまり感じないようになってたんだと思うんだよね![]()
感受性がだって強いのに、泣きわめいたり、
大人を困らせることはしなかったもの。
でも、母親は別居したりしていて仕事で忙しかったので本当に。
私のメンタルにはまったく関われない、という事態。
代わりに母方の祖母がよく別居先に来たけど、
そりが合わずにほんと微妙だった。
よく怒られるんだよね…それが単純に怖かったしやだったわ…
この頃から
よく母親に叩かれるようになった気がする
勉強ができなかったので、できない、間違えるたびに叩かれた…
で、学校でも先生に暴力振るわれてたから
違和感なかったんだと思う…
叩かれる恐怖とか、痛みで泣いてたのであって
気持ち的には自分ができないから、とか友人がいないから、とか
自分がだめだから叩かれる、って思ってたというかね![]()
お母さんの顔色をよく見てた時代だったかな…
今思えば、母親は結構気が強かったと思う。
言葉もずっときつかったし、後は忙しくて必死だったのもありそう。
で、また同じようなダメな友人ができた。
その子も陰湿なタイプで、言ってないことを言ったとか言いふらしたり。
ブラスバンドで仲良くなった子。
常にそうやって自分をないがしろにされてきたっていう
時間が長く、それが普通でまったくなんとも思わなかったんだよね…![]()
環境もほんとに今思えばよくないw
先生とももちろん相性がよくないし、暴力なんてもってのほか。
自尊心、ってのをほとんど育ててもらえなかったと思う。
自分は大事な存在である。
自分は存在を許されている。
って感覚がないまま育って、常に人間関係が何か危険のあるもの、
って認識をしてる感じ。