Inc.:私たちはつい、人生の目的を、社会的地位の向上、キャリアの確立、財産の蓄積、競争(そし..........≪続きを読む≫
儂は、死生観の欠如だけだと思うよ。
色々と理由をつけているけど、
行き着くところ、
不老長寿のような幻想を抱いているからではないだろうか?
年金は貰えるだろうか?
平均寿命がまた伸びた。
なんて事を若者が言っているのを聞くと、
やれやれっ!(*´Д`)=з
と思う。
100まで生きる人がいて、
若くして亡くなる人がいて、
平均寿命というものが存在する。
誰でも分かり切っていることなのだが・・・・・。
しかし、
自分は早死にしないと信じ込む姿勢は、
一体、何教の教えなのだろうか?(≧▽≦)
儂の持論では、
人間が想像することの多くは、
達成可能なことなのだが、
絶対不可能にする要素は何だろうか???
目標を見失う・・・・・。 ・・・・・・???
何故、そんな人が多いのだろう?
逆に、達成する人が何故少ないのだろう???
仮に、1億手にしたいと夢や目標を持ったとして、
このことを不可能にする絶対要素は、死 だけでしょう???
なのに、
死を想定しないで達成できるだろうか???
この時点で、
この目標を達成するプロセスの組み立てが、
不完全だと感じないのだろうか?
北海道から沖縄まで、
車でドライブする目標を実現するのに、
給油無しで達成できると考えるだろうか?
誰でも、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、長崎などで
給油しようと計画する筈でしょう。
更には、故障や事故も想定しないだろうか?
たかがレジャーの計画でも、
ある程度の想定を考慮して計画する筈なのである。
人生の目標といったら、
もっと綿密な計画でなければイカンと思いませんか?
ドライブの計画をし、日本を縦断しようと目標を定めて、
出発したのは良いけど、
途中で車が動かなくなった、事故に遭ったとなった場合、
仕方がない。帰るか。
と、断念してもそれまでの話だけれども、
人生の目標もそれで良いのだろうか?
そんな簡単に諦めたり、投げ出せる目標なら、
ハナから目標になぞしなくても良いのではなかろうか?
とどのつまり、
簡単なことで挫折したり、断念するような目標は、
本当に望んでいた目標や夢などでは無いのだろうし、
何より、
些細なハプニングで終わるような計画は、
運任せの希望的観測なのではないだろうか?
定年までとか、平均寿命までという、
悠長な時間設定自体が、
とても自分に甘い発想だと儂は思うのだが。
明日でいいやっ!
そんな発想と何も変わらん気がするがねぇ。
目標を見失うのは、
達成したい熱意が少ないとか、
達成する為の用意周到さが足りないとか、
目標や人生に楽観的過ぎるからではないだろうか???
みなさんは、自分が死ぬ想像をしたことがあるだろうか?
病気、怪我、事故。
明日、1年後、10年後。
それによって、目標や熱意が変わると思いませんか?
こうなりたいなぁ~。
と、
こうなるんだ!
は、全く別物でしょう。
お金持ちになりたいと思う人は多くても、
具体的に何億欲しいという人は少ない。
幸せになりたいという人は多くても、
どのように幸せになりたいか説明できる人は少ない。
それだけ、
夢や目標が曖昧だからではないですか???
現状への不満を誤魔化すためだけの方便。
目標を見失わない事より先に、
自分を見失わないようにしたらどうだろう?
将来、どんな自分でいたいか。
どんな生き方をしていたいか。
生きる の反対である 死 を自覚しないで、
本当の生き方を理解できるとは思えんのです。
誰にでも平等に訪れる死に向き合うことが、
充実した生き方、後悔しない生き方の最初の一歩だと
儂は思うねぇ~。
明日はまた来ると
楽観し、安易に思っていないだろうか?
身内に不幸があった時、
もっとこうしてれば良かったと、
実感し、後悔した経験のある人は、
意外に多い筈です。
自分にはそう思わないと???
死んだ身内には寿命があって、
自分はまだまだ先。的な不老長寿の幻想を抱いてませんか?
10年、20年の時間なんてあっという間の出来事。
人生を限られた時間と割り切る覚悟を持たないと、
何もせずに終わるでしょう。
いずれ来る死を、もっと真剣に考えれば、
もっと一生懸命考えるし、
もっと必死に生きようと思う筈なのだが。
次のチャンスで良いやと、
片手間で向き合うから、
目標や夢に執着すらできずに見失うのではなかろうかね?
いっぺん、10年後に死ぬことを想像してみて下さいよ。
そこから何か変わるのでは?