うっかりしていました(゜д゜;)

なんと、前回の記事で先生の訪問の事を書いているにもかかわらず、その後の訪問日をうっかり忘れていて、当日の朝(昨日の朝!)に「あ~!!!!!今日来る~!!!」とジタバタ ( ̄□ ̄;)

そんな母を思ってか、エルは提出できそうなものの作成にとても協力的で、写真を撮ったアクティビティに少しだけ文章を書いて、ジャーナル風に仕上げてくれました。(ありがとう、ありがとうありがとう!!)そして、掛け算の考え方を紹介する意味で使えそうなゲームがあったので、それを色鉛筆と方眼紙でちょっとやってみて、提出物に仕上げました^^ 掛け算を教えている訳ではないけれど、今ちょうどレゴにはまっていて、そのピースの呼び方に例えば2x4とか2x6とかあるので、(ツー・バイ・フォーとかツー・バイ・シックスとか)なんでそういうのか紹介したいと思って^^

さてさて、今回の訪問ではちょっと困った展開に。
何が困ったのかというと、まずは妹のレイが先生に絵本を読んで聞かせたところからスタート。恐ろしいほどメキメキとスピードを上げて読めるようになっているので嬉しくて仕方ないようで、お気に入りの絵本を一冊全部自分でしかも感情も込めて読んで聞かせていました。先生は「レイは来年キンダーに行かせるべきよ。来年プリスクールに行ったとしても、退屈するんじゃないかしら。次のステップに進みたくてこうやって今もアテンションを引こうとしているのよ。ウチの子供が4歳の時にはまだ読み書きもできなかったの。で、もう一年プリスクールに入れて翌年にキンダーに入れたのだけど、今は問題なく読める子になってる。すでに読めるし書けるのだから、絶対に準備できているわ。」って。

私の答えはこんな感じ。「読み書きだけで言えば、そう見えるかもしれないですね。でも彼女にはお友達と遊んだりしながら、もう少しゆったりとした時間をあげたいと思っているんです。」 心からそう思います。読み書きができる=次のレベルっていうのは、あまりにも短絡的に思えます。これがカリフォルニア州の学校教育の考え方なのかと思うとガッカリです。

それから、エルの方はというと、彼は本当にマジックツリーハウスにはまっていて毎日毎日一緒に読んでいるのです。チャプターを読みたいというときもあれば、最初の文章を読みたいとき、ただ聞いていたいときなどいろいろです。読む楽しさを失ってしまわないように、大事に進めたいと思っています。ところが、今回の先生の訪問ではいきなり彼に最初のページを読ませ、フォニックスをベースに正しく読む練習をさせ、私に「こうやって教えるといいわよ。」とデモンストレーションが始まりました。

う~ん・・・私はそれは絶対に出来ないと思います。
だって、それじゃあ本を楽しめないですもの。先生と一緒に読んでいるときのエルは、脳はフル回転していて一生懸命にパズルを解いているような感じに見えました。ためしに1ページ読み終わったところで、「エル、このページでどんなことが起こったの?」と聞いてみると、「え?分からないよ~。読むのに必死だったから。」という答え( ̄ー ̄; 先生はそれなのに「こうやってね、ちょっと難しいと思っても頑張らせてみるの。それから同じページをもう1回読んであげるといいのよ」とおっしゃる。いやいや、この本は、気が向いたときに音読を一緒に出来ればよいと思っていますってば。読むことの楽しさを教える事の方が、人生ずっと長い目で見て必要なことじゃないですか?

数学もサイエンスも、すべての教科にわたって、周りの1stグレーダーと同じレベルの内容をカバーすることを求められ、結局はきちんとしたカリキュラムを買い、その日割りタスクにそって私がアクティビティを探したらどうか?と勧められ、昨日はいささか不機嫌になってしまいました。子供の興味をキャッチしながら準備を進めていくはずが、州の誰かが決めた予定に沿って子供の興味に関係なく、することが割り振られている?しかも誰でもかれでも同じことをする??冗談じゃないです。私が目指していることは、子供の大学進学ではなく、彼らが一生涯を通じて新しいことを楽しく学べるような、スキルを獲得すること。結局は「子供達が大学に行きたいと思ったときに、テストで苦労しないように今からスタンダードにあわせる」という先生の考え方には我が家は賛成出来ないと感じました。

来月初めに提出する、来年度分のマスター・アグリーメント、考えるときが来たようです。