昨夜久しぶりにブログを書いて、「子育てコーチを雇ってからキレて怒鳴ることがなくなった」と書いた、まさにその数時間後。

 

私はキレて怒鳴ってしまった。。。悲しい

 

21時過ぎに子供達がバスケの練習から戻ってきた。

私はその時お風呂に入っていたのだが、「お腹すいたー!」と言っている子供達のために、お風呂を早く切り上げて、夜食の準備。

 

すると、娘が「ご飯食べたくない」と言う。お腹が空いていたので、お菓子を食べてしまい、今は空腹ではないというのだ。

 

娘は夕食の前にもお菓子を食べていて、夕食をかなり残していて、自分が残した夕食も食べたくないと言う。

 

こっちは、子供の健康のために、忙しい仕事の合間を縫って料理し、お風呂も早く切り上げて夜食を作ったのに、残されると結局残飯として捨てなくてはいけない。私は自分の時間を無駄にされることが大嫌いなので、この時点で怒りがフツフツと湧き上がってきている。

 

「お菓子食べたからご飯を食べられなくなってしまう。だからこれからはお菓子はお母さんが預かるね」とお菓子袋を取り上げた。

 

娘は文句を言う。息子は21時半過ぎに夜食を食べているのだが、食べ散らかして、ダイニングテーブルも床も汚れている。そして夫はいつものように「おやすみ」と自分の部屋に行く。

 

これって、私が全部後始末しないといけないの?

私は昨夜22時までヨーロッパとアメリカに対してウェビナーを提供し、それからお風呂に入って、23時過ぎに寝た。今朝は6時半に起きてみんなの朝食を作っている。なんで私が一番遅く寝て、一番早く起きて、仕事も家事も全部やらないといけないの?

 

ここから夫に対する怒りもマックスに。

 

夫は日本に引っ越したことも一因となって、それまで勤めていたアメリカの会社から10月にレイオフされた。つまり、今の彼は仕事がなくて時間がたっぷりある。それなのに、彼が家事や育児に使う時間は以前とあまり変わらない。圧倒的に増えたフリータイムを、ハイキングだとか自分のためだけに使っている。

 

そして彼は日本に銀行口座もないし、クレジットカードもないので、8月に引っ越してからの生活費全部を私が支払っているのだ。彼の10万円くらいするiPhoneも私が買ったし、10万円のソファも買ったし、子供の習い事、家族旅行、外食、食費、全部私が支払っている。この三ヶ月で100万円くらいは支払っているだろう。年末の雑務が終わったら、私が支払った生活費をリストアップして、彼に半額をUSドルで返してもらうつもりだけど。

 

話が脱線してしまったけど、要は、私の愛情を仇で返してくる子供達、時間がたくさんあるにも関わらず、家事、育児に協力しない夫への怒りがマックスになり、しかも前日遅い時間まで仕事をしていて疲れていたこともあって、私はキレてしまったのだ。

 

ご飯を食べずに不貞腐れて食卓で寝ようとしている娘を怒鳴りつけ、食べ散らかしている息子に食卓を拭くよう、きつい口調で言い渡し、私はさっさと寝た。

 

翌朝(つまり今朝)起きたら、子供達が使ったバスタオルが干されておらず、湿ったまま放置されていた。食卓には濡れた手拭いが放置。もういい加減にしてよ!!

 

そして家族の誰よりも早く寝ている夫は、私の後に悠々と起きてきた。もっと早く起きて家事をやれよ!

 

怒りに任せてこのブログを書き殴っているので、どんどん脱線しているかも。もう見直さないで、このまま投稿してしまおう。

 

と、こんなように、朝から怒りマックスの状態だったので、ダラダラ寝そべりながら準備をしている娘の腕を掴んで無理やり起こし、「タオルを干してちょうだい!」と怒鳴った。暴力ではないけど、強い力で掴んだから、少し痛かっただろう。娘は泣きながら干していた。これって、明らかに誤った対応方法だよな、と自覚しながらも、昨夜から残っている娘への怒りを抑えることができなかった。

 

朝食を食べている子供達に「もうお母さんはあなた達の夜食は一切用意しないからね」と宣言した。

時間と労力を使って夜食を用意するから、食べてもらえないと悲しくて怒りの感情も湧いてくる。であれば、初めから用意しなければいい。温かい夕食はちゃんと用意する。バスケの練習の前にそれを全部食べていくか、半分残して、帰宅してから食べるか、帰宅してから自分で何か作るか、それは子供達に任せる。

 

子供の帰宅を待ってから寝ることもしない。子供の前に寝るようにする。そうすれば、夫がいやでも子供達の世話をすることになるだろうから。

 

ということで、大枚叩いて、子育てスクールに通って、子育てコーチを雇っていても、この程度なのだ。

今の私にできることは、子育てスクールで学ぶことは愚直に実践する。でも、自分を犠牲にしないこと。子供のために、夫のために、と自分を犠牲にして尽くすと、結局、被害者妄想が大きくなってしまい、押さえつけている怒りが爆発してしまう。それよりも、これは「自分のため」にやっていること、と割り切り、自分のためにならないことは一切やらないことだ。