自分の事をどう定義しているかで
現実はできてます。
あなたの今の現実は
セルフイメージの反映です。
現実は、
ただのセルフイメージに過ぎない。
そもそもセルフイメージには
実績とか現実とか一切関係ないのです。
自分で勝手に、
自分はこのくらいだなって思ってるだけ。
言い換えると、
自分はこの程度だなって勝手に自分で規定している
だけのもの。
でも逐一、このセルフイメージが反映されてます。
収入も人間関係も健康も。
私は全然稼げない!って思ってると
ちゃんと稼げない。
このセルフイメージに合わせて、
ちゃんと稼がないようにする。
稼げる情報があっても見えない。
なぜなら枠外だから。
いつもお金に困るのが私だ。って思ってると
臨時収入があってもちゃんと無くす。
宝くじが当たっても、
ちゃーんとお金のない状態に戻る。
人間関係も同じです。
私はいつも人から雑に扱われる。
って思ってるとそうなる。
そうなるように仕向けている。
ほら!また蔑ろにされた!!
っていう証拠集めをはじめて
セルフイメージにそう現実創造を強化していく。
私は身体が弱いからって思っていると
その通りになる。
恒常性の枠内に戻ろうとする
強固な性質が働くわけです。
これがホメオスタシスです。
ええ〜イヤなんだけど!変えたい!
って思ったらこうして下さい。
自分が勝手に規定しているセルフイメージが
現状を創ってきたんだ。
ということをまず一旦受け入れて下さい。
自分なんてこんなもんだよ。って
勝手に自分を過小評価していたことを認める。
それは、
ちゃんとその通りに創造され保たれている、
自分自身の意図の力を認めることでもあります。
自分の力を理解できれば、
パワーが戻ってきます。
あなたに能力がないから
そうなっているのではなくて、
あなたに能力があるから
そうなっているだけなのです。
ちゃんと意図通りに作れてるだけです。
ここを踏まえて、
改めてセルフイメージを作ってみてください。
ここで大事なのは、
セルフイメージに今の現実とか実績は
一切関係がないという事を
しっかり認識しておくことです。
その上で、
自分とはどうで在るか決めるだけ。
どう存りたいか、というより
自分はどう存るべきなのか。
という感覚で決めるのです。
今の現実を見て、
こんな程度なんだからセルフイメージも『この程度』ではないのです。
セルフイメージを『こう』って決めちゃったから
今の現実になっている。
この順序を間違えないことです。
セルフイメージが先なのです。
セルフイメージに従って
後の現実が作られているのですから、
今の現実の枠内でセルフイメージを規定してしまえば
その範疇を抜けられません。
むしろ、そんなの無理じゃない?
叶えるルートも全く思いつかないというくらい
現実とかけ離れたセルフイメージを
持っちゃう方がホメオスタシスから出られます。
例えばそれが、
今全く売れてないお笑い芸人だとして
このちょっと先の延長線上には
スーパーの駐車場で営業する世界線があったとします。
そこで
『スーパーの駐車場で営業するレベル』って
セルフイメージを規定しても、理想とは程遠い。
スーパーの駐車場でコントする、
それがなりたい姿ではないですよね。
下手に実現ルートが見えるものより、
『M1でグランプリを取って、テレビにひっぱりダコで、道を歩けばキャーキャー言われるレベル』って
セルフイメージを規定しちゃった方がいいのです。
どうせやり方は分からないので、
下手な達成方法がもはや思いつかないくらいの方が、手段を手放せるので、やりやすいのです。
頭で考えた現実的な手段を手放すとは、
ソースの邪魔をしないということです。
要するに叶うのに抵抗してない状態。
つまり、受け取りモード。これが要。
そして、
じゃあそうなってる未来の結果から逆算すると、
今どうなってなきゃいけない?
そこで出てくるのが、
あなた本来の今在るべき姿なのです。
なら、今の自分は
劇場に頻繁に出て
出待ちとかもちらほらされてるレベルじゃないとな。
なのに現実は、ファンなんてすっからかん。
こうなってくると、
これはオカシイ!
この現実は間違ってる!
って思い始めます。
つまり、
今の現実の方がおかしい
認識するようになります。
これがセルフイメージが書き変わった証拠です。
そしてこうなっちゃえば、
このセルフイメージにそった現実が
展開されていくことになります。
自分は貧乏だってセルフイメージを持ってる人が
宝くじを当ててもきちんとお金を無くしたのと
同じ原理が働きます。
新しいホメオスタシスです。
今の現実がおかしいのです。
あなたのセルフイメージの方が
絶対的に正しいのです。
今までもそうだったように、
なぜならそれが法則だから。
そういう意味で現実を相手にしなくなるのです。
そうなっていけば、どんどん勝手に変わります。
変わらざるを得ないのです。
セルフイメージは、
こうだったらいいなぁ〜っていう
期待としての定義ではありません。
私はこう。っていう問答無用のもの
でなければなりません。
根拠は一切いりません。
現実が伴ってなくて全然いいのです。
むしろ伴ってなくて正解です。
なぜならこれまで自分が規定していた
セルフイメージの枠内での現実が今だから。
むしろそれが根拠なのです。
セルフイメージとは、
ただ私は自分はこうだって知ってるって感じです。
疑いの余地がないから、確信するほど力まない。
名前みたいなものです。
何でか知らんが、この名前が与えられている。
努力してないし因果関係分からないけど
この名前だし、この名前を受け入れている。
セルフイメージもそんな感じのものです。
だってそういう者なんだもん。って感じでいいんです。
セルフイメージの規定に従って、
現実が勝手に辻褄を合わせてくるのです。

