今日のメニュー
完全休養
先月30日の試合
俺のスケジュールは
100m一次レース
↓
200m
↓
100m二次レース
…の予定でした
100mニ次レースは、一次レースを走った160人中タイム上位の80人が進出できるものでした
さすがに調子が悪い俺でも半数には残れると思っていました
しかし100m一次レースが始まる以前に競技時間の進行の遅れが30分となっていました
原因は過密ダイヤとタイムテーブルの制作ミスでした
そんな中
俺は100m一次レースを走りました
11"63(+0.5)…
9日前に久々出場したレース(11"54)より明らかに遅い…
恥ずかしくて仕方ありませんでした
「高1ん時より遅いやん。フォーー
」
「あんだけ冬に時間割いて練習してこんな走り?」
「去年が土台で今年が勝負!って意気込んでた人はだれ?俺やろ?こんなん土台以下のタイムやん」
「もうこのまま帰って陸上やめたろかな」
「26歳日本一のアホやな俺は。末代までの恥とはこの事やな笑
」
ゴール地点からスタート地点まで歩いて帰る中、1人ぶつくさ言っていました
でも
「ここまで来たらなんでもええわい。200mぶちかましたる。タイムも走り方も関係あるかい」
と切り替え、200mのアップに向かいました
アップが終わったころ競技時間の遅れは30分から1時間になっていました
俺が走る200mの前の競技が中学生の200mでした
8レーンまでしかない競技場で、9までレーンがあると勘違いしたスタートリスト・当日申し込みの選手などで役員や選手は混乱し、競技はなかなか進行していませんでした
その中であわただしく動き回る京都府内某高校陸上部顧問のT先生の姿がありました
その日、T先生はレースの出走選手の確認などする主任をやっていました
T先生は、大卒から20代後半頃までサラリーマンをやっていて、その後社会科教諭を志し、サラリーマンを辞め、大学で免許を取得し、数年の講師を経て採用試験に合格…という経歴を持つ方です
府内高校教諭になってからも遊びクラブの陸上部を建て直しインターハイに連れていくなど指導力は半端ない反面、3~4年単位で転勤させられ(ご本人希望の可能性もあります)、赴任した高校の陸上部をまた再建して…って感じで…
俺が高校生だったころ、うちの高校と当時のT先生の高校とよく合同練習をしていました
跳躍競技が専門のうちの顧問に対し、短距離が専門のT先生
走り方はT先生に教えてもらう時間の方が多かった様に思います
どんな経緯で携帯番号を教えてもらったのか覚えてませんが、毎週の様にT先生の携帯に夜な夜な電話して
俺「~高校の~の走り方と僕の走り方の違いはどう思われますか?」
T先生『あぁ
てか俺はお前の彼女かなんかか?笑』
とか言われながらも、毎回1時間以上も俺とマニアな議論をしてくれました
今自分が大人になって考えてみるとただでさえ忙しい高校教諭という職なのに毎回時間を作って話を聞いてくれたT先生の優しさに感謝の一言です
俺が今勤めているR高校の仕事が決まったのもT先生が『履歴書をどこでもいいから沢山もっていけ』とアドバイスをくれたことが大きなきっかけとなりました
そしてR高校が決まったことを偶然お会いできたT先生に報告すると『R高校か
よかったな
あそこの陸上部顧問はMやな?ちょっと待てよ…(携帯取り出して)「…もしもしMくん?あんねー4月からそっちにどうしようもない陸上選手がいきよるんで人間指導したってよ
笑」』と電話をしてくれました
俺は京都府の高校陸上競技指導者が基本的に嫌いですが、T先生に対しては信頼と感謝の気持ちを持っています
いつも俺は、試合で競技時間が無駄に遅れると役員にクレームつけに行くんですが
主任のT先生が炎天下の中、走り回っている姿を見てただただじっと自分のレースを待っていました
そして時間かなりズレはしたものの、俺は200mを精神的にぶちかまして走りました
23"57(+2.2)
というタイムでしたが、速い遅いではなくぶちかませたかが大事という中である程度自分の走りには満足できた感じでした
その後、100m二次レースのスタートリストを役員室前に見にいきました
すると競技時間の遅延から80人の出走予定が40人に変更されていました
まさか…
遅いタイムで一次レースを走った俺の名前は40人の中にはありませんでした
俺はやっと気持ちにスイッチが入った様な感じがしたのに、ここで今日の試合が終わってしまうことがショックでした
ダウンもせずに駐車場のベンチにぎょうぎ悪く座り、考える俺
「なんとかならんかな
」
「これだけ時間遅れて役員みんなバタバタしてんのに、「俺走らせて下さい!」とか言ったら完全空気読めてないやんな」
「でもこんな中途半端で今日帰りたくない」
「あーーなんとかならんかな
」
とりあえず車に乗り、コンビニに行って、チキンや唐揚げを大量に買って食いました
食ったら眠くなって考え事しながらうたた寝しまた
「二次レースは毎年、棄権者が多いから空いてるレーンに直前で何食わぬ顔で入って走ろかな」
「でもバレたらT先生に迷惑かかるな
」
「あえてT先生に直訴すれば走らせてくれるかな」
「いや、忙しいT先生に余計な手間とらせたらアカン」
「でも……俺は今日このまま絶対帰れない…」
…
30分位寝ました
「よっしゃ…行くぞ…」
バテいた体も少しすっきりして、感情的になっていた気持ちも冷静になっていました
俺は荷物を持ってサブトラックへアップに向かいました
「二次レース、走れるか走れないかはその時の俺の運。それより今俺がやるべきは二次レースを走る為の準備や」
夕暮れ近く、昼間日差しで暖かった競技場も風が冷たくなっていました
俺は久しぶりに勝負をしている感覚でした
大学生の時は、大学内短距離総勢約60名の中から2~4人しかユニフォームを着れないサバイバルの中で日々ライバル達と練習を重ね、毎日が勝負でした
京都に帰って来て、ライバルも居ないただ自分の嫌な過去を払拭する為に練習を積んで試合に臨む日々
勝負というにはほど遠いここ2・3年でした
「俺は今、大会でもなんでもない奈良の田舎の記録会で走れるか走れないかわからないレースの為にアップをしている…これが俺らしい勝負なんかな?…」
その時の集中力は半端なかったです
しかしレースを走れない可能性が高いのがわかりながら半信半疑でいる自分もどこかにいました
アップを終え、サブトラックからレースのスタート地点に向かいました
T先生が拡声器とボールペンとプログラムをせわしなく持ちかえて出走者の確認に追われています
『一般高校男子100mのコールをします
集まりなさい
』
T先生の半分かすれた声が拡声器を通して聞えてきました
俺はT先生の視界に入らない様に出走者と一緒に確認作業を聞いていました
すると、二次レースが5組ある中で1組目は8人中5人棄権とT先生の声が耳に入ってきました…
「入るなら1組か…」
確認作業が一段落したT先生に近づき
「お疲れ様です。T先生すいません。名前ないですが、1組目入れて下さい…」
T先生の真っ赤に日焼けした顔が俺の方を向きます
2・3秒、T先生は俺の目を見ていました
過去、埼玉県のある高校の監督(日本一経験有り)が全国大会で選手を替玉出場さたのが発覚し、監督の解任ならびに同校の1年間の出場停止がなされたことがありました
それ以来(もちろんルール的にも×)記録会であれ、出走権利の無い競技者を出場させるというのはタブーとされてきました
…T先生の目がなにかを言ってる様に見えました
『お前、まさか走れるかわからんレースにアップしてきたんか?もう26やろ?なにやってんねん………』
みけんにシワを寄せた目からそんな風に呆れた心の声が聞えてきました
俺「すいません……」
T先生『1組目やろ?…えーんちゃう?俺しらんわ
笑』
俺「ありがとうございます

」
自分の荷物が置いてあるところに戻りレースに向け、スパイクをはきながら考えました
「今から走るこのレースはタイムに限界が有るけど、今後何年かかっても必ずT先生が『こいつに関わってよかったなぁ』と思ってもらえる様な報告をしてやる。それまで俺は絶対走るのは辞めない
」
沢山の中高生・大学生がいるにぎやかな中で、スパイクのひもが涙でよく見えずなかなかうまく結べませんでした
そして長い1日の最後、100m二次レースを走りました
11"33(+1.3)
午前中に走った一次レースから風を計算しても0秒2(ゴール地点で約2mの差)は速くなっていました
一次レースまで自分がどれだけたるんでいたかがよくわかりました
ゴールからスタート地点に帰る時、仕事を終え駆け足で役員室に向かうT先生と人ごみの中ですれ違いました
「ありがとうございました
」
『……がんばれよっ
』
俺は自分の為だけに陸上競技をしているのに、なぜか周りに夢をみさせてくれる人達がいて
俺は最高に幸せな競技者だと思いました
PS.野球部・女バス・ソフトの皆さん早く俺に仕事を下さい
完全休養
先月30日の試合
俺のスケジュールは
100m一次レース
↓
200m
↓
100m二次レース
…の予定でした
100mニ次レースは、一次レースを走った160人中タイム上位の80人が進出できるものでした
さすがに調子が悪い俺でも半数には残れると思っていました
しかし100m一次レースが始まる以前に競技時間の進行の遅れが30分となっていました
原因は過密ダイヤとタイムテーブルの制作ミスでした
そんな中
俺は100m一次レースを走りました
11"63(+0.5)…
9日前に久々出場したレース(11"54)より明らかに遅い…
恥ずかしくて仕方ありませんでした
「高1ん時より遅いやん。フォーー
」「あんだけ冬に時間割いて練習してこんな走り?」
「去年が土台で今年が勝負!って意気込んでた人はだれ?俺やろ?こんなん土台以下のタイムやん」
「もうこのまま帰って陸上やめたろかな」
「26歳日本一のアホやな俺は。末代までの恥とはこの事やな笑
」ゴール地点からスタート地点まで歩いて帰る中、1人ぶつくさ言っていました
でも
「ここまで来たらなんでもええわい。200mぶちかましたる。タイムも走り方も関係あるかい」
と切り替え、200mのアップに向かいました
アップが終わったころ競技時間の遅れは30分から1時間になっていました
俺が走る200mの前の競技が中学生の200mでした
8レーンまでしかない競技場で、9までレーンがあると勘違いしたスタートリスト・当日申し込みの選手などで役員や選手は混乱し、競技はなかなか進行していませんでした
その中であわただしく動き回る京都府内某高校陸上部顧問のT先生の姿がありました
その日、T先生はレースの出走選手の確認などする主任をやっていました
T先生は、大卒から20代後半頃までサラリーマンをやっていて、その後社会科教諭を志し、サラリーマンを辞め、大学で免許を取得し、数年の講師を経て採用試験に合格…という経歴を持つ方です
府内高校教諭になってからも遊びクラブの陸上部を建て直しインターハイに連れていくなど指導力は半端ない反面、3~4年単位で転勤させられ(ご本人希望の可能性もあります)、赴任した高校の陸上部をまた再建して…って感じで…
俺が高校生だったころ、うちの高校と当時のT先生の高校とよく合同練習をしていました
跳躍競技が専門のうちの顧問に対し、短距離が専門のT先生
走り方はT先生に教えてもらう時間の方が多かった様に思います
どんな経緯で携帯番号を教えてもらったのか覚えてませんが、毎週の様にT先生の携帯に夜な夜な電話して
俺「~高校の~の走り方と僕の走り方の違いはどう思われますか?」
T先生『あぁ
てか俺はお前の彼女かなんかか?笑』とか言われながらも、毎回1時間以上も俺とマニアな議論をしてくれました
今自分が大人になって考えてみるとただでさえ忙しい高校教諭という職なのに毎回時間を作って話を聞いてくれたT先生の優しさに感謝の一言です
俺が今勤めているR高校の仕事が決まったのもT先生が『履歴書をどこでもいいから沢山もっていけ』とアドバイスをくれたことが大きなきっかけとなりました
そしてR高校が決まったことを偶然お会いできたT先生に報告すると『R高校か
よかったな
あそこの陸上部顧問はMやな?ちょっと待てよ…(携帯取り出して)「…もしもしMくん?あんねー4月からそっちにどうしようもない陸上選手がいきよるんで人間指導したってよ
笑」』と電話をしてくれました俺は京都府の高校陸上競技指導者が基本的に嫌いですが、T先生に対しては信頼と感謝の気持ちを持っています
いつも俺は、試合で競技時間が無駄に遅れると役員にクレームつけに行くんですが
主任のT先生が炎天下の中、走り回っている姿を見てただただじっと自分のレースを待っていました
そして時間かなりズレはしたものの、俺は200mを精神的にぶちかまして走りました
23"57(+2.2)
というタイムでしたが、速い遅いではなくぶちかませたかが大事という中である程度自分の走りには満足できた感じでした
その後、100m二次レースのスタートリストを役員室前に見にいきました
すると競技時間の遅延から80人の出走予定が40人に変更されていました
まさか…
遅いタイムで一次レースを走った俺の名前は40人の中にはありませんでした
俺はやっと気持ちにスイッチが入った様な感じがしたのに、ここで今日の試合が終わってしまうことがショックでした
ダウンもせずに駐車場のベンチにぎょうぎ悪く座り、考える俺
「なんとかならんかな
」「これだけ時間遅れて役員みんなバタバタしてんのに、「俺走らせて下さい!」とか言ったら完全空気読めてないやんな」
「でもこんな中途半端で今日帰りたくない」
「あーーなんとかならんかな
」とりあえず車に乗り、コンビニに行って、チキンや唐揚げを大量に買って食いました
食ったら眠くなって考え事しながらうたた寝しまた
「二次レースは毎年、棄権者が多いから空いてるレーンに直前で何食わぬ顔で入って走ろかな」
「でもバレたらT先生に迷惑かかるな
」「あえてT先生に直訴すれば走らせてくれるかな」
「いや、忙しいT先生に余計な手間とらせたらアカン」
「でも……俺は今日このまま絶対帰れない…」
…
30分位寝ました
「よっしゃ…行くぞ…」
バテいた体も少しすっきりして、感情的になっていた気持ちも冷静になっていました
俺は荷物を持ってサブトラックへアップに向かいました
「二次レース、走れるか走れないかはその時の俺の運。それより今俺がやるべきは二次レースを走る為の準備や」
夕暮れ近く、昼間日差しで暖かった競技場も風が冷たくなっていました
俺は久しぶりに勝負をしている感覚でした
大学生の時は、大学内短距離総勢約60名の中から2~4人しかユニフォームを着れないサバイバルの中で日々ライバル達と練習を重ね、毎日が勝負でした
京都に帰って来て、ライバルも居ないただ自分の嫌な過去を払拭する為に練習を積んで試合に臨む日々
勝負というにはほど遠いここ2・3年でした
「俺は今、大会でもなんでもない奈良の田舎の記録会で走れるか走れないかわからないレースの為にアップをしている…これが俺らしい勝負なんかな?…」
その時の集中力は半端なかったです
しかしレースを走れない可能性が高いのがわかりながら半信半疑でいる自分もどこかにいました
アップを終え、サブトラックからレースのスタート地点に向かいました
T先生が拡声器とボールペンとプログラムをせわしなく持ちかえて出走者の確認に追われています
『一般高校男子100mのコールをします
集まりなさい
』T先生の半分かすれた声が拡声器を通して聞えてきました
俺はT先生の視界に入らない様に出走者と一緒に確認作業を聞いていました
すると、二次レースが5組ある中で1組目は8人中5人棄権とT先生の声が耳に入ってきました…
「入るなら1組か…」
確認作業が一段落したT先生に近づき
「お疲れ様です。T先生すいません。名前ないですが、1組目入れて下さい…」
T先生の真っ赤に日焼けした顔が俺の方を向きます
2・3秒、T先生は俺の目を見ていました
過去、埼玉県のある高校の監督(日本一経験有り)が全国大会で選手を替玉出場さたのが発覚し、監督の解任ならびに同校の1年間の出場停止がなされたことがありました
それ以来(もちろんルール的にも×)記録会であれ、出走権利の無い競技者を出場させるというのはタブーとされてきました
…T先生の目がなにかを言ってる様に見えました
『お前、まさか走れるかわからんレースにアップしてきたんか?もう26やろ?なにやってんねん………』
みけんにシワを寄せた目からそんな風に呆れた心の声が聞えてきました
俺「すいません……」
T先生『1組目やろ?…えーんちゃう?俺しらんわ
笑』俺「ありがとうございます


」自分の荷物が置いてあるところに戻りレースに向け、スパイクをはきながら考えました
「今から走るこのレースはタイムに限界が有るけど、今後何年かかっても必ずT先生が『こいつに関わってよかったなぁ』と思ってもらえる様な報告をしてやる。それまで俺は絶対走るのは辞めない
」沢山の中高生・大学生がいるにぎやかな中で、スパイクのひもが涙でよく見えずなかなかうまく結べませんでした
そして長い1日の最後、100m二次レースを走りました
11"33(+1.3)
午前中に走った一次レースから風を計算しても0秒2(ゴール地点で約2mの差)は速くなっていました
一次レースまで自分がどれだけたるんでいたかがよくわかりました
ゴールからスタート地点に帰る時、仕事を終え駆け足で役員室に向かうT先生と人ごみの中ですれ違いました
「ありがとうございました
」『……がんばれよっ
』俺は自分の為だけに陸上競技をしているのに、なぜか周りに夢をみさせてくれる人達がいて
俺は最高に幸せな競技者だと思いました
PS.野球部・女バス・ソフトの皆さん早く俺に仕事を下さい

